篠原橋(滋賀県蒲生郡日野町佐久良) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十五弾。

 

2013年7月28日、湖東方面の橋巡りにて出会った橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、ここの30分ほど前の牛飼道橋

 

 

 

ここは地図で見て気になったので確認しに来たのだったが、

なんか、アタリの雰囲気。

 

ちなみに解放厳禁の獣害除けゲートは最初からこの状態だった。わたくしが放置したのではない(笑)。

 

 

 

 

 

その奥のお目当ての橋は…

おお~、やっぱ雰囲気いいぞ!

 

場所はコチラ。北側からのアプローチになる。

 

 

 

 

 

 

フェンスと、密生した林の奥にあるそのロケーションが、なんとも気に入った。

手前の親柱には「佐久良川」とある。

 

 

 

 

 

この時の陽の射し方も、またイイ感じで。

しかし、この規模の橋でこんなに下部構造がしっかりしてるのに、こんなにも欄干(と呼ぶことさえも憚られる)のショボイ橋、特筆もの。ほぼ冠水橋状態やし…。

 

 

 

 

 

 

ちなみに橋台はこんな感じ。

いまいち年代がピンと来ないな。

 

 

 

 

 

で、右の親柱だが、

みごとに砕け散っており、絶妙にお名前だけが見えない残念あるある(笑)。仕方ない。

 

 

 

 

 

では、渡るとする。

いや~、シンプル極まりない橋上だ。

 

 

 

 

 

上流側。

どこか熱帯地域めいた、滋賀ではあまり見ない類の川相だ。デルタ・ブルーズが似合いそうな(謎)。

 

 

 

 

 

コチラ下流側は、

数十m先の堰堤?でスパッと切れ落ちていて、これまたなんか不思議な景。

 

 

 

 

 

渡りきって、南側より。

こちら側は最後ちょっと幅員を広げてあるのがポイント。そんなことしなくても右左折は余裕っぽかったが…大型車でも通してたんだろうか?

 

 

で、わかりにくいが此岸は親柱がちゃんと生きていた。

 

 

 

 

右の親柱で、お名前判明。

「しのはらばし」。

 

調べてみたところ、どうやら「篠原橋」表記で間違いないようだ。

 

 

 

 

 

 

左の親柱にはお誕生日。

「昭和四十年二月竣工」。

 

ちなみに先代の橋は、昭和34年8月13日の台風7号で流失したそうだ。再建されるのに5年半ほどかかったということか。あるいは、その間にまたも流された悲運な橋があったとか?

 

 

 

 

 

鬱蒼としていた北側とは一転して開放的な南側、

サイドアングルも余裕。

 

うーん、やっぱこれ、元は冠水橋形式なんじゃないのか?

 

 

 

 

 

すっかりロケーションが気に入ってしまったこの橋、

けっこういろんな角度で撮りまくったっけ。

 

 

 

 

 

客観的に見れば、

橋梁愛好家の間でも特にスルーされやすそうな地味な橋に過ぎないのだが。

 

まあ、蓼食う虫も好き好き、ってことで(笑)。

 

 

 

 

 

こんなとこひとつ取っても、

なんかかわいらしいじゃないの(病

 

 

 

 

 

もちろん、

このスリルもポイント高いね(笑)。

 

 

 

 

 

 

周囲の在所のちょうど真ん中、どこからも目隠しされたようにひっそりとしたこの橋。

自分だけの秘密の橋を見つけたような、そんな不思議な魅力があった。

 

違うタイミングで訪ねれば、また印象も違うんだろうな。

 

 

 

以上。