追憶の東レ滋賀事業場専用線 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2009年9月5日、日本電気硝子大津事業場専用線探索からそのまま移行、やってきたのはコチラ、JR石山駅の膳所方数百mの踏切脇。

 

 

 

ここに盛越川という小さな川が流れているのだが、

そこに残されているのが、このようなコンクリ橋台。

 

写真は膳所方面を見ている。このすぐ手前で分岐していたのがよくわかるかと。

 

 

 

 

 

 

 

橋台は二線分あるが、

写真奥のほうは東海道本線の旧橋台。今回のお題に関する橋台は、手前の方である。

 

この橋台は、かつて石山駅西方から分岐し、南側にある東レ滋賀事業場へと延びていた専用線の痕跡である。今宵はそのごくごく短い専用線の、今では失われてしまった痕跡の数々(大した数じゃないが)をご紹介する。

 

 

 

 

 

上の写真から右へパンしての、専用線と東海道本線の位置関係。

向こうに見えている白いガーダーは、京阪石山坂本線の跨線橋梁である。

 

 

 

 

 

 

すでに見えているように、盛越川の橋台からこっちには、

探索当時にはまだレールが残されていた。

 

今では完全に撤去されてしまっている。いつごろだったかな、撤去されたのは…。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、現在のストビューではこう。

ほぼ同位置で、正面の駐車スペースが専用線跡になる。左側の建物は変わっていない。

 

 

 

 

 

 

 

南へと延びた専用線は、

このような数十mだけの「本物の廃線跡」区間を経て、すぐに天下の国道1号へと。目前を横切っているのが国道1号、その先の門扉の向こうは、もう東レ滋賀事業場の広大な構内である。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真を逆から見た景が、これ。

国道1号の歩道からの振り返り、ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

専用線が国道1号を横切っていたところを、俯瞰で。

写真左手から横切り、右手の東レ構内へと。よく見ていただきたいのだが、探索時点では警報機がまだ残っていたのよね~。

 

つうか、確かこの前年くらいまでは、国道にもレールが残っていた。 ついでに言えば、冒頭の盛越川にもガーダーとレールが残っていたはずだ。つまりは「完全体の廃線跡」だったわけで、 撮ってなかったのがまあ悔やまれる。

 

 

ちなみにこの写真は、以前記事にした中路アーチ的な歩道橋から撮っている。

 

 

 

 

 

 

で、R1を横切ったところにある

閉ざされた門扉。

 

 

 

 

 

 

 

その奥には、

ガチな遺構がまるまる現存していた。

 

現在のGoogle Map航空写真で見ると、すっかり様変わりしてはいる。でも、拡大してよーく見ると、レールを敷いたまま舗装したっぽく見えるんだな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

門扉のそばには、

こちらも警報機と遮断棒。

 

 

 

 

 

 

その東側にも、対になるやつが。

当然これらもすでに撤去されて久しい。

 

 

 

 

 

 

最後に、東側から見るR1横断地点。

当然ながら交通量は非常に多い。踏切の存在など許されるはずもない立地。

 

 

 

この専用線がいつ廃止されたのかははっきりしない。けどその歴史は意外と古いようだ。

 

現在の東レ滋賀事業場は、かつての東洋レーヨン滋賀工場であり、ウィキ先生によれば戦時中には軍需工場(兵器工場)として稼働していたらしく、「兵器生産は1943年(昭和18年)5月から始まり、海軍向けの九二式魚雷を月産100本、魚雷の頭部を日産125本を生産し、呉海軍工廠および舞鶴海軍工廠へ納品した」とある。

当然ながら兵器の搬出や原材料の搬入のためにこの専用線が使用されたものと思われるが、専用線それ自体は、それ以前の繊維工場時代からすでに存在したのではないかと思われる。

 

ちなみにこれもウィキ先生によると、この東洋レーヨン滋賀工場、終戦後は鉄道車両の修理工場として、後には車両新造も行う本格的車両工場として、1955年まで稼働していたらしい。以上の沿革は、記事を書くにあたって初めて知ったことばかり。

 

 

 

 

 

 

上の写真位置、現在の様子。

かつてここを横切って、魚雷が呉や舞鶴に向かって送り出されていたとは。

 

今やそれを偲ぶよすがも失われてしまったが、こうして記事にしておくことで記録を残せるのは、まあいいことかと。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

えー、またテーマをさわりました。従来の「鉄道よもやま話」に加え、「失われた鉄道風景、廃線跡」なるテーマを新設し、該当する記事を振り分けました。