2019年3月19日、長く懸案であったネタの回収にようやく着手した、その記録を。奇しくも2月26日の神山発電所関連遺構探索、3月15日の京都市道小出石大布施線探索に続き、「近場のシバキ残し回収三連発」のトリを飾る探索となった。
先ほど「着手」と書いたのは、実のところ未完だから。依然としてシバキ残しているエリアは存在していて、そのうちに(これがクセモンなんだが…)やっつける予定ではある。だがまあ、それなりに美味しいところは網羅したかと思うので、見切り発車で記事にしておく。
しかしまあ、なんですな~(桂小枝ふうに)
確かにコレ、大昔から気になってたのよ、マジで。
ここはウチの実家からも近く、ガキの頃からよく遊びに来ていた…って、地図を忘れてたわ。現在地はコチラ。
叡山電鉄八瀬比叡山口駅の西側、現在会員制のリゾートホテルとなっている場所には、かつて「スポーツバレー京都」という施設があり、さらにその前は「八瀬遊園」というローカル遊園地だった。
わたくし、八瀬遊園を含めこのあたりにはよく親に連れてきてもらった記憶があるんだが、なぜかそのころからすでにこれが漠然と印象に残っていた。
そんな「なんか知らんけど覚えている」ものが、ある日突然意味を持った時の衝撃はデカかった。あれはtellさんの記事でだったな。
なんとあれ、かつてあそこにあった発電所の遺構なのだと。
改めて紹介しよう。これ右側のほうで、
「李制水門」。
そして左側、
「李余水吐」。
発電所に関して素人同然のわたくしとて、「余水吐」とくればおのずと水力発電所を連想する。そう、かつてこの地には高野発電所なる水力発電所が存在したのだった。
発電所については次々回あたりでもう少し詳しく述べるが、なんにせよ「パッと見、料理屋さんの池の付属物」みたいなこの二つのゲートは、高野発電所の忘れ形見なのだった。
ちなみに、両ゲートに用いられている「李」という漢字。音読みで「リ」、訓読みで「スモモ」だが、なぜこの漢字が頭についているのかは不明。何かを表しているのか?
あー…いきなりロケットスタート的な始まり方だが、ついて来れてますかね?心配だ(笑)。
で、この料理屋さん?の裏手を見てみると、
あー、なんかある。
私有地ではない…と思われるので、ちょっとお邪魔して。
上の写真で斜面の下に見えてるブルーシートを基準にご覧あれ。
斜面の上から下りてくる、明らかに人為的に造られた構造物。わかりにくいが、二本並列している。
向かって左側は、
コンクリートの溝。これが余水吐だったんだろうか。
そして、わかりにくい右側には、なんと!
勝手知ったる、と思い込んでいた場所が、この趣味というフィルターを通して全く新しい価値を持って浮かび上がってくるこういう瞬間が、たまらなく好きだ。いやはや、慣れ親しんだつもりのこの地に、こんなもんがねえ…。驚いた。
この水圧鉄管から落ちた水で発電するわけだから、かつての発電所建屋は、まさにこの料理屋さんの場所にあったものと思われる。調べてはないけど(笑)。
ここからが探索のスタートだ。まずは当然、上に向かう。
ケーブル八瀬駅方向へと坂を登っていくと、そこにはこんな看板が。
現在地はコチラ。
ケーブル八瀬駅南側の一帯には、現在「八瀬もみじの小径」なる遊歩道が整備されているが、これは近年のこと。わたくしがガキの頃はもちろん、単なる山(笑)だった。いくつか、素敵な物件たちが書かれている。
こうして整備してくれているのはありがたいことだが、願わくば、これから紹介していくような物件の数々が人知れずひっそりと山中に在る様を見てみたかった。それはさぞかし…魅惑的だっただろう。
「八瀬もみじの小径」は、
古さを判別しかねる謎な水路?を縫うようにある。
元からあった発電所遺構なのか、
それとも、遊歩道設置の際に造られたものか?ようわからん。
順路通りに進んでいくと、
先ほどの余水吐を橋で跨ぐ。そしてその先では例の水圧鉄管も。
見下ろすと、
この感じ。
眼下の料理屋さん一帯が発電所建屋擬定地であり、あの前に冒頭紹介した二門がある。参考までに、高野川に架かる木造橋を渡った先、写真左上の青い屋根が八瀬比叡山口駅舎だ。
ちなみに、水圧鉄管を跨ぐこの橋、
何かを感じた方、おられる?
わたくし気になったので潜ってみたら、
古レール桁だった。これもまた、年代不詳なヤツだ。
この碍子がいっぱい付いたコイツも、なんか見たことある気がするけどなんなのかわからんし。
橋の下から見上げる、水圧鉄管。
煉瓦製のあれは…上部水槽ってやつ?この残り具合、嬉しい限りだ。
もちろん順路にはちゃんと階段があるので、そっちを登っていくんだが、
心は、気になりすぎる物体に持って行かれ。
なんだあれ。
【次回】に続く。