【前篇】より続く。
東側の旧道を進んでいくと、すぐに
伐採された木により塞がれていた。よくあるパターン。
それを越えると、
あー、なるほど。こっちはしっかり埋められてるタイプか。
手前に何かあると思ったら…
ぶっ倒れた3.5mの高さ制限標識だった。哀れ。
では、埋められたポータルへ。
この時点で気づいた。
背後に、なんか見えてるよ?
間違いない。
背後に、オリジナルと思しき煉瓦ポータルと扁額が残っていた!
それに不具合が生じたのか、5mほど前方にせり出す形でコンクリートポータルが。これも時々見る改修方法。
そしてこの新造ポータルにわずかな開口部が。先ほど西側から貫通を確認してるので、当然これは想定通り。
うーん。撮り方が悪くて、
西側の明かりは写らなかった。
さて、改めてオリジナルのポータルへ。
この感じは、(記事にしそびれてるけど)滋賀県彦根市の佐和山隧道・東側に酷似している。でも、あそこよりもはるかにスッキリしていて見やすい。
そう、
こんなにもスッキリと!
右書きで「神原隧道」…かな。
こちらも左端には揮毫者が刻まれていたが、判然としない。
こうすればくっきりと浮かび上がったが、
判読できないことには変わりなし(笑)。
扁額の左側では、
ポータルの煉瓦が剥がれ落ちていた。
あるいはこのポータル左側の損傷が、新しいポータルの建造に至った要因なのかもしれない。知らんけど。
オリジナルポータル前から見下ろす旧道。
満足して、撤収。
最後に、旧道入り口付近にあった
「神原峠の今昔」。大きめの画像で貼ってみたので、よろしければ。
よく見ると西側旧々道は、あのヘアピンからさらにつづら折りで分岐してたんですな。気づかんかった。
解説部分の拡大。
そう、神原隧道は大正13年の開通なのだった。
で、最下部の写真を拡大してみる。
この写真の場所って、
たぶん、ここらあたりかな?
穴の師匠であるよとと師匠の記事がコチラ。ウチの記事ではやれなかった「アソコ」、もちろん見られる(笑)。
そして【前篇】で紹介した廃ヘキサ、師匠の記事でも確認できないけど、RKパパさんにいただいたコメントによると、どうやら撤去されてしまったようで。うーん、これは残念すぎる…。
この後もう一件だけシバいて、ようやく帰途についた。飛騨清見から高速を使ったものの、しばしば睡魔に襲われて仮眠すること数回、帰ったら午前2時になってた(苦笑)。
以上、完結。