【西側旧廃道】より続く。
いよいよ、隧道と正対。
煉瓦によるシンプルなポータル。帯石もピラスターもないと、やたらスッキリしてる印象。
扁額は立派なものが設置されていて、
右書きで「神原隧道」と。
扁額左端には
揮毫者の名前も刻まれているようだったが、誰なのかは不明。
時の岐阜県知事かと思って調べてみたが、違うようだ。古川町の町長とかかな?
切石によるアーチ環は端正ながら、
洞内はコンクリ補修を受けていて、煉瓦の巻き立ては見ることができなかった。
そして(すでに視認できていたことだったが)、
土砂が突っ込まれて埋め戻されてしまっている…
ように見えたが、一応登ってみると…おおっ。
天井部分にはわずかな隙間が。向こうの明かりも見えている。貫通している!
フラッシュ・オン。
変態の極みな人たちはけっこうここに突っ込むようなんやけど、わたくしは無理~。試そうとも思わなかった。
土砂のてっぺんからの鉄板の構図をもって、
東側の探索終了、撤収。
そうそう、やっぱこれも紹介しておこうかね。
廃ヘキサの背後の斜面に、
こんな石碑がある。
近くで撮った写真もあるが、どっちにしろ読めないので割愛。マジでなんて書いてるのかさっぱり(笑)。
幸いにも背面は読みやすい。大きめのサイズで貼ったので、興味ある方はどうぞ。
隧道には関係ないが、「旧々道にあった峠の茶屋と、そこを利用した名士たちによって植樹された樹木たち」の記念碑。
ちょっと何言ってるかわかんない?いや、だってそうなんやもん(笑)。
改めて、実に萌える線形。
ちなみにこの西側探索の所要時間は23分だった。
さて、現トンネルを抜けて、
東側へやってきた。
一応現道のヘキサもおさえつつ、
用があるのはもちろんこっちだ。
坑口からすぐに埋められていた西側。
果たしてこの東側はどうなっているか?
【後篇】に続く。