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2025年6月29日(日)の記録です。
【相馬株式会社】
相馬株式会社、函館市公式観光サイトはこぶらのページによりますと・・・
1913(大正2)年築のルネサンス風事務所建屋。ぺディメント(西洋式切妻破風)など特異な意匠。基坂と電車通りの交差点に建ち、西部の町並みのランドマーク的存在。伝統的建造物。
ということです。
では画像をご覧ください。

【旧金森洋物店】
旧金森洋物店、函館市公式観光サイトはこぶらのページによりますと・・・
1880(明治13)年に建てられた「旧金森洋物店」を改修し、資料館として公開。和洋折衷の防火煉瓦造りで、明治時代の函館を今に伝えている。北海道指定有形文化財。
ということです。
では画像をご覧ください。

【旧安田銀行函館支店】
旧安田銀行函館支店、函館市公式観光サイトはこぶらのページによりますと・・・
角に丸みを持たせた優雅なフォルムと繊細な意匠が特徴の、旧安田銀行函館支店の建物。ホテルとして再利用されたのち閉館、2017(平成29)年5月に新ホテルとして再生。景観形成指定建築物。
ということです。
では画像をご覧ください。

【廃屋?】

【函館市中央図書館】

【マンホール】

オマケ!
【旧函館博物館二号】
旧函館博物館二号、文化遺産オンラインのページによりますと・・・
明治15年(1882)、開拓使の廃止に伴い、北海道が札幌、函館、根室の3県に分かれると開拓使函館仮博物場は函館県博物場となりました。明治14年の開拓使東京仮博物場の廃止により、多くの資料が東京から移管され展示室が狭くなったことから、明治16年7月に新たな博物場建設が開始され翌月に完成し、展示等の準備を経て明治17年8月11日に函館県博物場第二博物場が開場されました。
建物は、洋風の平屋建で当初屋根は杉の柾葺だったが後に亜鉛葺となりました。玄関は、コリント様式風の装飾柱と半円形のアーチが設けられ、上部半円形縦長の窓は分銅による上下スライドの開閉式となっていました。当時は外壁全体は白色、正面玄関の柱、アーチは青色、窓枠は黄色、屋根棟飾りは白色のペンキが塗られ色彩豊かな建物でした。
函館県博物場第二博物場は、明治24・25年にかけて庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第二館)と相次いで改称されましたが、昭和7年(1932)8月より先住民族館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
ということです。
では画像を。


【函館博物館】


休館中だった!
【旧函館博物館一号】
旧函館博物館二号、文化遺産オンラインのページによりますと・・・
明治4年(1871)、開拓使の御雇教師頭取兼開拓顧問ホーレス・ケプロンは、大学、博物館、図書館の必要性を建言し、これを受けて開拓使は、明治12年5月25日・函館公園内に開拓使函館仮博物場を開場しました。これは、明治8年の東京博物館、開拓使北海道物産縦覧所の開設、明治10年の札幌の偕楽園博物場開場とともに日本における地方博物館誕生の先駆けです。
開拓使函館仮博物場は、函館裁判所などを手がけた新潟出身田中善蔵の工事請負により、明治11年5月に着工、同年7月に完成をみました。建物は、博物場本体と管理人室、研究室が廊下で結ばれ中庭が設けられていましたが、現在は博物場本体のみが残り・日本で現存する最古の洋風木造建築の博物館として知られています。建物は、平屋建寄棟造の瓦葺で、外壁は白色のペンキが塗られています。正面入口上部に開拓使印である「北辰」(北極星)が刻まれ、縦長に配列している窓は上下スライドの開閉式となっています。
開拓使函館仮博物場は、明治15年に函館県博物場(第一館)、明治25年に庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第一館)と改称を重ね、昭和7年(1932)8月には水産館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
ということです。
では画像を。


以上、函館で目を引いた建物たちでした。

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