清水倉隧道(仮)(廃)【橋立隧道(仮)(廃)改め】【2】(新潟県糸魚川市橋立) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

ひらりっ、と。

坑口は、かなり斜めっていた。

 

コンクリ擁壁の外側は青海川の激流だった、というイメージで見ると、印象はグッと変わる。ハードコアな道路だったんだろうなあ…。

 

 

 

洞内には、不思議なものがいろいろと落ちて(棄てられて)いた。

 

入ってすぐのここには、

手前のは、赤ちゃんのベッドに吊るモビール的なやつ?違うか?んでそこに転がってる扇風機?は、羽根がないタイプなんでけっこう最近のものってことに(だからヒーターかも)。どうも時代考証がようわからんな。

 

 

んで。

 

 

実は、本記事のクライマックスが

早くも訪れてしまうんだな、残念なことに(笑)。

 

そう、コッチから入ると、すぐに見え始めたそれ。先人の記事で記憶に焼き付いている光景がもうすぐそこに。肉眼ではハッキリ見えていたが、わかりやすい写真で

 

 

ドン。

Oh!It's Do-Nai-Bun-Ki!(笑)

そう、洞内分岐である。

 

本坑は左側へ下っていくほうなのだが、右へとなめらかに分岐する支洞があり、それも完全に貫通している。

 

 

 

その支洞、サイズ的には

こんな感じ。

 

なんとかダンプカーくらいでも通れそうな本坑に比べ、こちらは完全人道サイズ。本坑との境目にも大きな段差があり、自動車交通を想定したものではなさそう。あるいは・・・未成状態か。

 

 

 

その支洞、延長はたかだか7~8mくらいだろうか。

ここにもまた、雑多なガラクタが棄てられていた。…誰か住んでた?

 

 

 

 

で、その先が開口部なのだが、

こんな感じになっていた。

 

外に見えるのは、もちろん傍らを通過する現・県道である。

 

 

 

実はこの支洞の開口部は、

ノートさんを停めた時点からから見えていた。記事構成上出さなかっただけで。

 

 

 

 

上の写真の反対側ヴァージョンが

これになりますな。

 

この県道、思ったよりも頻繁に車の通行があるので、丸見えご注意(笑)。

 

 

 

今通ってきた支洞を振り返り。

不条理感が伝わるだろうか。

 

が、こんなもんじゃないのだ、ジッサイ。

真のクライマックスは、ここから。

 

 

上の写真から、右方向に視線を移していくと…

!?

 

えぇー!?

 

!?

 

もう一本穴ぁぁぁ!?

 

これ、位置関係伝わりますかね?要は洞内からかつての川べりの断崖に向かって、二方向から「く」の字状に支洞が掘られていたわけである。なんじゃあこりゃああ。

 

 

これがなんなのか改めて考えてみたが、推論を二つ思いついた。

 

A、川べりの断崖にあったなんらか(施設?祠?)へ行くための通路

例えば、千葉県で見た梅ノ木台二号隧道のようなイメージ。あるいは、坑口脇にあったあの碑?お墓?があったんだとか?しかしこれだと、二方向から掘られている理由が説明しづらい。

 

B、かつての横坑

隧道掘削時に、川べりの崖に桟橋を架けて、竪坑ならぬ横坑を掘り、そこからも両方向に掘り進めて工期短縮を図った。とか。

 

C、かつての横坑(ズリ出し用)

単純に、掘削時に出たズリを捨てるための横坑。でもなあ、この程度の延長の隧道でこれはないか。ズリを川に捨てるってのも、治水上どうかと思うし…。

 

個人的にはBが気に入っている。二方向に掘られていることの説明もつくし、少しでも早く掘ってしまいたい事情があったとして、ここの岩盤のマッシヴっぷりを考えると、この短さの隧道でもまるっきりナイ話でもなかろう、と。

 

 

真相は不明だが、まあイマジネイティヴな隧道だこと。

 

 

こういうのも(笑)。

 

 

 

いや~、しかし、分かってて入ってきたにもかかわらず、

改めて変態そのものですなあ…素晴らしい。

 

 

では改めて、本坑を進んで行こうかね。

 

 

 

【3】に続く。