【前篇】より続く。
自分でも憶えていない(笑)付箋の情報どおり、そこには素掘り隧道が待ち受けていた。
こういう「憶えてない付箋」からの展開ネタとしてはこんなのを記事にしているが、これねえ、なかなか楽しいのですよ(笑)。
で、わたくし気づいてしまった。隧道があったのは嬉しいのだが、
この写真ではわかりにくいが、肉眼ではもうちょいよく見えていた。アレは…アレっぽいな(どないやねん・笑)。
これは嬉しいオプション登場。隧道から先に進めば出逢えるはずだ。
改めて、正対。
モルタル覆工されているが、なるほど確かに素掘りの隧道だ。
もちろん扁額も銘板もないので、名称その他は不明。ただ、前篇で見たように林道の開削は松野知事の任期中だと思われるので、昭和半ばごろのものだという推測が成り立つ。
銘板といえば、ここ隧道手前の山側に、法面工事の銘板みたいなものを見つけたのだが、よく見ると(何らかの事情で)この場所で亡くなられた方の慰霊のプレートだった。思わず手を合わせた。
では、おもむろに進入。
いやいや、立派な隧道だ。
延長は30mほどだろうか。登りながら曲がっている。
洞床は、
ちゃんと舗装されていた。
なんか…思ったよりも味気ない?
でもでもでもでも~?(懐かしの小島よしお風
そんなのカンk(ry
決して裏切らない、鉄板の構図(笑)。
やはりこの構図は、いつでもどこでも有効だった~。
んで、もういっちょ、鉄板の構図。
思うにこの構図が最も「バエる」のは、やはり坑口の形状が個性豊かな素掘り隧道だと思う。
この隧道も、両側の形状の鮮やかな違いがいい。とってもいい(笑)。
坑口付近の雰囲気自体も、
地理院地図からも脱落しているこの隧道、ホントはココらの国有林名を採って「下ウスノメ隧道」なんて仮称を記事タイトルにしようかと思ったのだが、狙いすぎ臭が強すぎるのでやめた(笑)。
さて、もちろんさらに進んで、先ほど見えたものを目指すのだが、
それ以前に、また何やら見えてしまったんやけど…正面に。
そのコーナー外側に…
このような、
上二枚写真で伝わるかどうか、明らかにこれ、もっと大きな穴だったのを埋め戻した痕跡だった。さりとて、いわゆる隧道跡って感じではない。
この穴(の痕跡)がなんなのか、その後に一応の仮説は思いついたのだが、それはまた次回にでも。
ここで振り返り。
引いて見ると、けっこうな秘境感を感じていただけると思う。
こんなところに人知れず、「アレ」があるとは…。いやまあ考えてみれば、「衆目の集まるところにある」なんてほうがまれですな。
ソイツは、
あの先に待ってるはず。
【次回】に続く。