新庄第2用水路橋梁 (東海道本線 吹田~東淀川) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2018年7月21日に敢行した、東淀川駅と開かずの踏切の記録。
 
その途中、東淀川駅西口から、「実は予定どおりに」脱線し、あるものを見に行っていた。それが、本日ご紹介する物件。
 
 
 
東淀川駅西口から、線路沿いに北へ200mほど、あー、いたいた。
 
お会いしたかった、
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コイツには以前から。
 
 
 
天下一品 進入禁止や一通の標識は、通常よりも背が高いわけじゃない。背後のアイツの背が低すぎるんだな。
 
 
 
その、背後のアイツ。標識を見るまでもなく、
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デカデカと赤字で書かれた「けた下制限高1.5M」。
 
この物件は、電車から見えて以前から気になっていた。かなり低そうだが車が通れるだけの幅員は確保されており、実際のとこどんなことになってんだろう、と。なので、この機会に念願の訪問を果たした次第。
 
 
ではさっそく進入…合言葉は?
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「こうじ参上」!もうええっちゅうねん(笑)。落書きすんな!
 
 
 
わたくしの身長は173cmだが、さすがにちょっと首をすくめないと頭をぶつける。なので、1.5m制限ってもちろんだいぶマージンを取ってあるわけだが、それでもかなりの圧迫感でしょうな。
 
ちなみに、ウチのノートさんなら余裕(笑)。
 
 
 
こう見えてここ、けっこう人通りは多い。まあ当然だわな、近くの踏切がアレなんだから(笑)。
 
ジモティーならではの「車両感覚」で、
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特に首をすくめることもなくチャリで抜けていくご婦人。
 
自転車、歩行者はけっこう通ったのだが、残念ながら心待ちにしていた車は現れなかった。ギリギリを見て興奮しようと思ったのに(爆)。
 
とにかくクソ暑かったので、粘る元気もなく。
 
 
 
西半分を抜けると、
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一旦上が開ける。そして、二連の煉瓦製の橋台が登場。
 
 
 
この区間の開通は1876(明治9)年。複線化されたのは1899(明治32)年。
 
この二連の煉瓦橋台は、
 
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最も古いその明治期のものだろう。オリジナルかどうかはわからないけど。
 
二連の内で西側のものは、現在使われていない。東側のものは、上り線の急行線(新快速や特急が使用)に使われており、現役!
 
 
 
東側に、抜けた景。
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ここから、道はV字型に分かれていた。
 
この南東方向への斜めの道は車道。撮ってないが、北東方向への道は自動車が通れない細道だった。
 
 
 
 
抜けて、振り返り。
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いや~、どっしりと重心が低い(違
 
まぁ1.5m制限程度の架道橋ならば全国各地に散在しているとは思うのだが、開かずの踏切とのコンボは、なかなかの破壊力よのう…。
 
ちなみに、ここの数十m北には大阪市道庄内新庄線の立派なアンダーパスがある。…さすがに、ねえ(笑)。
 
 
ところで…探している情報が見当たらなかったのだが…

 

 
こんなんあったが、
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これじゃない。
 
これじゃないけど、初めて見る類いの銘板かも。なにこれ?
 
 
 
 
まあいいや、
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戻りながら探すとするか。
 
 
 
 
その探していたものは、真ん中らへんで見つかった。
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お名前は「新庄第2用水路橋梁」
 
なんと。これ、かつては用水路を通していた橋梁なのだろうかならば納得のこの低さだが。あるいは、今も地下に?
 
ちなみに、ガーダーにあるこの手の塗装履歴でお名前が判明することは多い。行きには死角になる場所にあったので、気づかなかった。
 
 
別のガーダーにはこんなのもあったけど、
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塗装厚塗り&ひび割れ&手ブレのハーモニーで判読不能(爆)。
 
 
 
 
いや~、
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堪能した。
 
 
 
 
開かずの踏切はもうすぐ姿を消すけど、
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こちらは当分残りそう。
 
イイと思います(笑)。こういうのもないとね、やっぱ(謎)。
 
 
 
 
満足したところで、つかの間の日陰から出て、東淀川駅西口へと戻った。
 
 
以上、完結。