【3】より続く。
【序】でも出しましたこの画像。
1月の初見時点、損壊した路面からの観察で気づいていた、この木柱遺構。
ようやく今、目の前に。逢いたかったぜ…。
土中に埋まっていた道路遺構ということで期待したが、セメントが使われているならばさほど古い年代の遺構ではなさそう…残念ながらというか、やはりというか。
この穴、残った木柱が示す通り、柱を立てて何かを支えていたのだろう。そして状況から見て石積み護岸よりは新しいもののはず。ということは。
この石積み護岸に支えられたかつての道路があり、外側(川側)に桟橋状の構造物が作られた、その支柱跡がこの遺構ではないだろうか?
桟橋で道路を拡幅していたとまでは思わないが、例えば退避所的なスペースとか。
なんにせよ、これら石積みや支柱跡はコンクリ護岸の奥深くに封じ込まれていた遺構。本来は目にすることができるはずもない、大変貴重な道路遺構だ。
改めて振り返り。石積みの上端が、かつての路盤なんだろうか?だとしたら、現在の路盤は嵩上げされているってことか?
さて、残りの行程は…?
…いったん登らねばクリアはできないようで。
ところで、路盤跡になんか立ってるけど?
さて、こっからまあまあ危険なんですよ。
あの金属棒。
コレにはさっぱりお手上げ。一体なんやったん?
さて、慎重にココまで来ましたよ。
このパイプは現役だったのだろうか?それとも、コレも過去の遺物?
いや、それよりも、よく見ると、
ここにもさらに古いコンクリ護岸?の遺構が。
ジャンカの目立つ粗悪なものだが、確かにコンクリートだ。ぬああ、ここの道普請の成り立ちがよくわからなくなってきた(爆)。そしてパイプのそばには、新たな謎の金属部材も。
まったく進まない今回のレポですが~