【2009年後篇】より続く。
初訪問から11ヶ月後の2010年9月19日。この日はおろろん氏引率による橋シバキまわしツアーが厳粛に執り行われ、その中盤、領内橋の次に、この隧道に立ち寄った。
ちなみにこの日のネタで他に記事にしているのは、早朝朝練時の女鬼隧道。
東側坑口。
見たところ、全っ然変化がないように見えた。
初訪問時もそうだったのだが、
洞内は非常に安定していて、小さな落石さえもほとんど見られなかった。
隧道そのものに瑕疵はなくとも・・・か。
11ヶ月ぶりの、天険「カガスリ」。
いや、やはり圧巻ですな・・・。
今回は、隧道の右へと分け入り、初訪問時に辿らなかった旧道、「カガスリ道」を歩くことが目的だった。
西側から進入してすぐのところ。
雰囲気ある。
向こうに見える黄色は、先行するおろろんさんのお召し物(笑)。
で、おろろんさんのいたあたりからの振り返り。
この道は、車道ではなかった。
江戸期から歩かれてきた「大杉道」にこの隧道が穿たれたのが、大正12年。これをもって宮川上流域に初めて車道が通ることとなった。
もちろんこのカガスリ道が隧道旧道にあたるわけだが、実はこれは明治時代に拓かれた道で、さらに古い道が存在している(いた)のだとか。
転落しないように生木を掴んで、踵を擦って慎重に越えたことから「カガスリ」と呼ばれるようになった、というその逸話からすれば、確かにこの道はいささか穏やかに過ぎる。いにしえのカガスリ道は、いったいどこに通ってたんだろうか?浪漫ですなあ・・・。
隧道脇に、旅人を護る道祖神が祀られていたのは伊達じゃないってことか。ちなみにあの道祖神碑、1811(文化8)年の建立だとか。
それでも真ん中あたりは
険路の片鱗を見せる。
牛馬や荷車なんかは、これでもギリギリだっただろうな・・・。
上の写真も、そしてこれも振り返りアングルだが、
東側へと抜けたところだったと思われる一枚。
中央のヤツはなんだっけ・・・(笑)。また再訪せなイカンですな。
最後に、新トンネル、その名も「新八知山トンネル」について。初回に触れたとおり、今年2017年2月25日に開通式が行われ、同日供用開始された。詳しくは三重県HPのこのページ参照↓
(この手のページってけっこうすぐに見られなくなるから、お早めに)
ページ内下部に、「関連資料」として並列する新旧の東側坑口の写真を見ることができるが、それを見ると旧隧道に起こった(好ましからざる)変化が見て取れる。
①金網で閉鎖(扉付き完封?)
②坑口の周囲がモルタルで固められてしまった
③道祖神碑が見当たらない
①②に関しては、(伝聞情報だが)隧道内で希少な蝙蝠の生息が確認されたために、旧隧道は存置される方針とのことだったので、実際そういう方向の処置になっているのかな、と。廃止する(棄てる)隧道ならば、わざわざモルタルはないもんな。今後も観察などで入ることが想定されている、ということか。そういう点では、ありがたいことかもね。
③が気になるが、おそらく移設されたのだろう・・・と思いたい。新トンネル右手に何やらスペースがあるので、そこかも?
まあそのうち、新トンネルチェックと旧隧道へのねぎらいに再訪したい所存である。
最後に、おまけ。
国道422号のシール。三重県オリジナルか?
隧道東側の橋(たぶん名前は八知山橋)近くのガードレールに貼付されていたものだったと思う。当然、今では道路もろとも撤去されてしまっただろうが。
以上、完結。