【2009年前篇】より続く。
※ご注意:この記事は2009年10月の探訪記事です。
八知山隧道・西側坑口。
向こうに見える異常に明るい光源は、太陽じゃなくって車のハイビームであります(笑)。
わたくし、ここで引き返した。再度東側を撮り直し、車で西側にまわってこようと思って。あったまいい~(笑)。
というわけで洞内を戻り、改めての
東側坑口。
撮り直したとはいえ、相変わらず不鮮明な写真が残念。まだ光量が不足してるか・・・。もちろん撮り手もヘボいしな(笑)。
右に見えるのが、道祖神碑。これ、新トンネル開通に伴って移動したんだろうか?ネットで見たところでは、この旧隧道の右側に近接して新トンネルが開口していたので。
そしてここで、隧道に旧道がないかを探したところ、
あった。
後で知ったことだが、ここは「カガスリ」と呼ばれる宮川の断崖をゆく古来からの難所であったとのこと。その天険の大岩盤をぶち抜いて1923(大正13)年に掘削されたのが、この八知山隧道だった。
坑口・洞内の様子を見た限り、それこそデリニエーターの設置程度で、ほぼ完全にオリジナルのままだったんじゃないかと思われる、実に貴重な隧道だった。
宮川流域の交通を支え続けた隧道も、94年目の今年、ついにその役目を完全に終えて閉鎖された。晩年の19年間は通行止めとケチがついたものの、ご苦労様でした、と声をかけたい。今度行った時には。
この日はそんなこと知る由もなく、カガスリの旧道も辿らなかった。が、ご安心あれ、次回記事で後日訪ねたカガスリ道をお伝えする。
まわり込み途中で見た、「カガスリ」の大岩盤。
コレは凄い~。
ちょうど西側坑口付近を宮川の対岸から見た景がコチラだが、よくぞ隧道を掘り抜いたものだ。恐れ入った。そしてその外側、断崖上の「カガスリ道」もまた、さぞかし難路だったに違いない。
そして、この隧道の通行止め要因となった「岩盤崩落の危険性」とは、間違いなくこのあたりのことだろう。確かに危険だと言われれば、そりゃあそうですよね、となるわな、コレを見りゃあ。
新トンネルは、この岩盤のさらに奥を穿ち、この難所を華麗にパスしているようだ。現代土木技術の勝利、ってやつか。
その危険地帯へと続く本来の国道は、
物々しい、そして年季の入った封鎖措置が。
特に右側の二枚。
探索当日で、封鎖から11年。11年あれば、このくらいのサビ具合にはなるのか。
「八知山トンネル崩落の危険があるため通行できません」
わたくしの知るこの隧道を象徴するのは、この封鎖風景だ。
ここから遠望する西側坑口。
あ~懐かしい・・・。
思えばなぜ、父ヶ谷の帰りにここへ立ち寄らなかったのか、今となっては残念。まぁあの時は疲労困憊やったしな・・・。
改めての、西側坑口。
一線は退こうとも、果たした貢献がなかったことになるわけではない。
・・・まあこれは、今記事を書きながらの感想。当日はそこまで想いは至らなかった。何度も書くけど、予備知識皆無だったので(笑)。
そして、もう一度言おう。コレ、国道の隧道ですよ。少なくとも探索当時は。いやも、堪りませんな~。
この日はここまで。あと1回だけ引っ張ります。
【2010年篇】に続く。