※前回記事でわたくし東西を逆に書いておりました。正しくは、東側から入洞して西側に抜けようとしています。前回記事と併せて訂正します。ごめんなさい(笑)。
【前篇】より続く。
足元の惨状・・・(笑)。
その西側は・・・
明らかに、東側よりもハードコアな雰囲気。
雪が目線の高さくらいまで・・・
じゃないよ、もっとだよ(笑)。
4月末でもこんななのか~凄いな・・・。この2012年が平年よりも多かったのか少なかったのかはわからんけど。
・・・うわ~・・・。
なんか隧道前とは思えない、広々した平場が開けていた。まあ、夏場とはかなり感じが違うんだろうけど、かなり想定外の光景。
右手に何か石碑っぽいものが見えている。後ほどチェックするとして、
まずは西側坑口と正対。
東側と同じ無愛想さですな~。
違うところといえば、ポータルの汚れ。まあきったない(笑)。
その理由は明白。
ポータル直上から、そのまんま雪解け混じりの土砂が落ちてるからだ。
いや、そりゃあ洞内のあの惨状も納得。冬季通行止めが明ける前の整備ってかなり大変なもんなのね~。
こうして見ると印象が、この1年10カ月後に訪ねたあの北谷隧道・北側坑口に似ている。もちろんあそこまでの状況ではないけど、もし数年放置でもされれば、近い状態になっていくような、そんな危うさを感じる。
さて、ようやく坑口前を離れて、
先ほど見えていた石碑の前に。
よく読んでみると、
慰霊碑だった、明治時代の。隧道ができる遥かに前だ。
難しい漢字で判読が困難だが、これは・・・壓死(圧死)か?二月廿五日なんていう厳冬期の日付から察するに、雪崩による不慮の死をとげたのだろう、下梨(現・南砺市下梨)の横井石松さんという方が。
この方がどういう方なのかはわからないが、立派な石碑が建てられるほどの仁徳、あるいは地位にあった人物だったのだろうな。
あたりには手向ける花もなく、ただ手を合わせた。
ここで、現在地の地図を出しておこうか。
隧道を背にして右方向へ、高草嶺方面への林道が分岐している。
そこから望んだ、山の神峠・西側。
左端に見える雪に覆われた平場が、隧道から直進する旧道。ちょうど正面の山襞の谷間あたりが、下梨の地・・・になるのかな。
改めて、西側坑口を引きで。
うん、やっぱり北谷隧道系の眺めだ。
でも北谷隧道を見た時に、ここのことは思い出さなかった不思議(笑)。
堪能した。
撤退開始。
たぶん、もう来ないな・・・(笑)。
東側に戻ったら、
例のスノーアーチを、外側から。
下からちょろちょろと雪解け水が流れている。いや~こういうシチュエーションの隧道は、今のところ後にも先にもココっきりだ。
この雪解け水を道連れに・・・
しつこく【復路篇】やります(笑)。