【8】より続く。
キタターーーーー!!!
というわけで(笑)。
時は12時26分。進軍開始より3時間54分、進軍距離約6.6km。
2009年秋から想い焦がれた隧道が、遂に我が目前に。感無量~(T ^ T)/
いや~、やっと来れたよココまで!そしてたぶん、もう二度と来れないだろう、いろんな意味で。
改めて、場所はコチラでございます~。
隧道鑑賞の前に、わたくし的に響いた景色を。
コレは隧道前からの振り返り。
恐怖さえ覚える高度感。左の彼方に見えるは北谷第1号橋…だと思う。
だがやはりポイントは「ブレーキテスト」、そしてガードレール。そう、ここまで4時間近くかけて登ってきたこの半廃道は、やはり紛れもなく車道なのだった。
しかし「ブレーキテスト」は響いたな。確かにここでブレーキがイカレたら、それは死を意味する。雨量観測所前の「エンジンブレーキ」と併せ、この林道の過酷さを如実に現わしている。
改めて、隧道と正対。今度はローアングルで。
まさかのコンクリポータル!さらに、扁額完備!嬉しい!!
お名前は、
「北谷隧道」。
この隧道を抜けると北谷、そして林道の名前も北谷林道。非常に腑に落ちる名前だ。
さらに嬉しいことに、
銘板アッターー!!
詳しい内容は拡大してご覧いただきたいが、特筆すべきは「竣功昭和47年12月」。
【6】で触れたが、ここへ至るまでに辿ってきた「紅壽橋」の竣功は昭和43年12月、だがその次の「北谷第1号橋」は昭和57年3月だった。これにより、林道の開削時期について混乱してしまったが、この隧道の竣功年を見て納得。真ん中の北谷第1号橋は、おそらくなんらかの事情で掛け替えられたのだろう。
洞内の様子は…おおお~。
全面的に波形ライナープレートで巻かれている。もちろんその外側は荒々しい素掘りなんだろう。洞床に散乱した枯葉が何とも言えない雰囲気を醸し出す。
えも言われぬ空虚感…。何の破損もない綺麗な洞内だが、まとう空気は紛れもない廃の気配だ。
そして、向こうの様子がおかしい。
手前に雪が不思議な感じで吹き込んでいるのもかなり気になるけど。
土砂が流入して、半分近くが埋まっている
ように見えるでしょ?
実際は、
もっともっと埋まってるのだ!!
それこそ、
こんな状態。
なんと扁額が目線の高さに!信じがたい状態になっている。コレはヤバイ…。
ここから反転、隧道を抜けた先を見下ろしたのがコチラ。
この光景も心に響いた。
精神的なものかもしれないが、なんか天上界だか異次元だかへ来たような、フワフワした不思議な感覚を覚えた。
そして、あの見えているあたりから振り返った、衝撃の光景。
砂防ダムじゃないですよ?隧道の北側坑口ですよ?
本来であれば掘割となっているべき部分が、両側からの絶え間ない崩落で埋め尽くされている。人工的な埋め戻しでなく、自然の力に屈服しつつある隧道の、断末魔の姿。
ここの崩落は現在進行形。絶えず、ごくささやかな、カラカラ…という崩落音が、静まり返ったこの場所では嫌によく聞こえた。もう…無理だと思う、この隧道は。
2014年3月初旬時点での埋まり具合。あの感じでいけば、果たして今でも開口しているのかどうか…正直わからない。
想い焦がれた隧道は、存外に重い(個人的に)物件だった。
初めて目にする北谷の山々。
…恐ろしいことに、遥か彼方にまだ道が続いているのが見える。ガクブルもんですな(笑)。
イヤイヤイヤイヤ、もう行かんよ~(爆)。
我々の目的地は隧道。これ以上の進軍はもうご遠慮つかまつります。
とはいえ、
看板とか見えたので、もう少しだけ進んでみた。
コレがいつごろ設置されたのかわからないが、さほど古そうには見えない。
…が、今やコレ、ウソつきになってしまっている(笑)。
100mほど先に、もう1枚。
コチラは平成9年~11年度と明記されていて、あきらかに古い。
いやほんと、もう無理だと思うわ、この道…。いたちごっこでしょうよ…。
さて、ほんとにキリがない。
更なる魔境へと誘い込まれる前に…
12時55分、撤退開始。だが、まだ終わらない。
【10】へ続く。