【5】より続く。
雪上歩行の頻度も、徐々に増えてきた。地味に疲れる…。
11時7分。
開放感のある気持ちのいい場所で、この日初めての小休止。
消耗戦の様相を呈してきた、父ヶ谷アタック。
そんな我々を鼓舞し、かつ…いささかゲンナリさせる光景が。
名うての隧道ハンターであるよとと氏が、ひたと見つめる一点。そこには…
隧道見えたーー!!
長年想い焦がれし隧道、その生の姿をついに捉えた!この時は感激したなあ…。
ただ…
…めっちゃ遠い…Orz
当然、この場所から一直線に行けるわけなどなく、ここからまだ谷を二度巻いて、ようやく隧道方向へ向かうのである。
この時点で進軍開始から2時間32分、進軍距離約4.9km。仮にここで戻ったとしても、ほぼ10km歩行確定。白倉より状態はマシとはいえ、その全てが実質廃道である。ましてや雪上歩行を交えた消耗戦。
やはり生半可ではなかった、父ヶ谷。気合を入れ直す。
英気を再充填、11時17分行軍再開。
すぐに現れるのが、本日初めての分岐。
父ヶ谷林道は、右へ下るのが正解。初訪問時のよとと氏が、ここをミスルートしたがために無念の敗退となった因縁の場所…。
そしてすぐに、
谷を渡る橋が見えてくる。
先の紅壽橋に続く、名前有りの橋だ。
お名前は…
北谷第1号橋。
…なんかネーミングにポリシーがねえな(笑)。それにここ、まだ北谷じゃないはずなんやけど…。
しかし実際のところ、先ほどの分岐あたりから地味に北谷林道へ入っていた…ようだ。それに伴っての、この命名ということか?分岐左方が父ヶ谷林道の続きということなのだろうか。
竣工年は、
「昭和57年3月竣工」。
先の紅壽橋が昭和43年だったから、14年もの開きがある。旧橋があったのか、あるいは北谷林道はこの時期にようやく開削されたのか。
後者の推論は、結果的にこの後否定されることになる。が、前者が確認されたわけでもないけど。
ちなみに河川名表記は「宮川」となっていた。うーん、これまた全然違うやろ(笑)。なんだかな~。
北谷第1号橋をあとに、さらに進む。
この雪上歩行、疲れるんである。体重を乗せた瞬間からワンテンポずれて沈むので、やたらと足に負担がかかる。うぜえ~。
もはや、
路肩が抜けてても、誰も見向きもしやしねえ(笑)。
ひっそりと、だが確実に、疲労の影が我々に忍び寄っていた。
そして…
時刻は11時30分。進軍開始から2時間58分。
また新たな橋が、現れた。今度は名無しだ。
平地では見かけない類いの、高さと桁の危うさのバランスが取れてない橋。
この橋こそ…父ヶ谷アタック最南端の地。文字通りの、ターニング・ポイント。
場所はコチラ。
橋上から見る北方向。
右側が今登ってきた道。ここで渡るは南谷、そのデッド・エンド近く。
この橋をもって180度北へと向きを変え、これより名実ともに北谷を目指すことになる。つまり、ようやく先ほど垣間見た隧道の方向へと舵を切ることとなる。
進軍距離約5.6km。
父ヶ谷アタックの試練は、ここからが正念場だった。
【7】へ続く。