【4】より続く。
我々は、パンドラの匣を開いてしまったのか?
一見害のなさそうな物置小屋。だが…
その中には人知れず恐るべきものが放置されていた!
場所はコチラ。
例によって、航空写真モードでご覧ください。
その中に放置されていた、悪夢の最終兵器。その名は…
うわあああああ!!!
…って、すいません(爆)。すいませんなんやけど、
ラゾーミサイルって何ですのん!?(ちょっと前まで流行っていたアレとは関係御座いません)
ラゾーミサイルとは…自動爆音機、作動型防鳥機。…えっ?(笑)
「西独プルス社製でプロパンガスの爆発でビニール製のタカに似た物体を10mのポールを伝って舞い上がらせて鉄砲で打たれたような格好でバタバタと落下させる装置(聴覚)で、爆発の間隔は3~30分に調節可能でタイマーで自動的に始動、停止できる。夜間の有害鳥獣には夜光塗料が塗布されたフクロウ型のものを用い、プロパンガスの発火光がこれに反射する。これはアバラームより効果があり塩尻の大豆畑では設置地点より50~60m、面積にして1~1.5haに有効であったという。人間に飼育されていたドバトにも効果がある。高価(1式16万円程度、帝装化成、静岡市南町5-15)であることと、人家の近くでは騒音公害となるのが難点である。」
(公益財団法人 山階鳥類研究所HPより抜粋)
…正直、この場所でこの標柱を見つけなければ、一生知ることもなかったテクニカル・タームかもしれない(笑)。世の中、いろいろなものがあるのねえ…。皆さん、なんか、思わず言いたくなってきませんか?
さあ、わたくしに続いて!リピ~ト・アフタ~・ミ~!
「らぞ~・みさいる」!!
進入した瞬間に踏んづけたタールで靴裏がベットベトになったけど、ラゾーミサイルに免じて許してやるぜ!
はぁ~。
変なヘンション…もとい、テンションになっちゃったよ。
この中も少しだけのぞいたけど、基本業務範囲外につき割愛。
いっこだけ紹介しておくと、
裏手の物置の中にあった、いにしえの弁当箱。
昔ってこんなアルミの弁当箱あったよな~。高校の時とかこんなん持って行ってた気がする。絶妙におかずの汁が漏れて、弁当包みがベッチャベチャになるんよね~(笑)。
いや~、いい気分転換になった。
再出発してすぐ、時刻は10時35分。
行く手に立派な橋が見えてきた。
進軍開始以来、
初めて出会う、まともな橋だ。進軍開始直後に流されていた橋も、こんな感じの橋だったのではなかろうか。
お名前は?見て驚いた。
「紅壽橋」。
まさか、こんな格調高い名前とは!なんて読むか?それは対岸で判明する。
渡る谷の名前は…
「父ヶ谷」。え?うそ。コレって本流じゃないと思うんやけどなあ。
橋上から望む下流側。
この橋をもって、谷(父ヶ谷)を折り返す。右側に見えているのが、ここまで登ってきた道。左側が、これから登って行く道。
対岸の銘板で竣工年が判明。
「昭和43年10月竣功」。
そして、気になっていた読み方。
「こうずはし」。はぁーー!!
「紅壽橋」=「こうずはし」。どっから来たん、この格調高い名前(笑)。意外すぎるな…。
渡って振り返り。
通常時にはあんま相手にしない類いのガードレール橋やけど、こういう立地ならば話が変わってくる(笑)。しっかりと撮影。
向き直れば、いきなり
路肩が抜けております。
雪の状態によっちゃあ、見落として踏み抜く可能性もあるよなあ…(汗)。
そのしばらく先には
お地蔵様?が。こんな場所で寂しそう…。
白倉の強烈な高度感に比べるとマシやけど、
それでもこんな高さはある。…相変わらず2Dでは全然伝わらんけどな!
それにしてこの父ヶ谷林道…
非常に淡々と、地味に高度を稼いでいく。
あのつづら折り以降は基本的にこんな感じだ。
日なたでは落石、そして
日陰では残雪。
目立った橋も、もちろん隧道も現れない。あるのは、厳しい自然のみ。
魔境・白倉とはまた違った、真綿でじわじわと締め付けるような父ヶ谷の厳しさ。淡々と。
時刻は10時54分、進軍開始より2時間22分、約4.2km。道はまだまだ、目的地ははるか彼方。
次回【6】、ついに垣間見る。