【6】より続く。
10時18分。二本の橋が連続して架かるポイントにさしかかった。
まず一本目。
お名前は、
「雷橋(かみなりはし」。む~雷か…。落石をイメージしてるのか?(笑)
ちなみに竣工年は「1966年12月」とあった。一本前の不動橋は10月。この手に取るようにわかる進捗具合が面白い!
続く二本目の橋。お名前は…
「羚羊橋」。ん?レイヨウって、海外の動物の?
と思いきや…
「かもしかはし」。カモシカなんかい!
調べてみたら、たしかにレイヨウってカモシカの総称を表す言葉でもあるみたいで。勉強になるなあここの橋は(笑)。
羚羊橋を振り返り。
光澤橋を最後に、親柱を備えた橋は現れなくなった。
そして、結果的に言えば、名前を与えられた橋もこの羚羊橋が最後となった。以降は、コンクリ製の暗渠をもって流れを越えていくようになった。
とはいえ…
こんなんやけどね…。
暗渠は健在も、前後形無し。いったい、「その時」にはどんな感じになるのだろう。想像しただけでビビる。
かと思えば...
全く平穏なパートも現れる。路面状況は極悪~上の間を目まぐるしく変動し、我々決死隊を幻惑した。
光谷筋から脱して再び寄り添うのは、銚子川本流。
一時期のことを思えば、谷との比高は小さくなってきた。…コレでさえね。
こんな平穏な状態(まあちょっと崩れてるけどさ)が、
いつまでも許されるはずなどないのが、白倉クオリティ。
時刻は10時45分。
本日二度目の、大 ★ 崩 ★ 落!現場。
崩落規模こそ前回よりも小さいが、こっちはもう山抜け。辛くも擁壁は残るも山は抜けた、と。
だが、屈しない決死隊。
残った擁壁の一本橋を伝って、まず隊長がクリア。
続いて我々も。
こちらは前回と逆に、見た目より易しくなかった。
この邪魔くさい枝が行く手を阻む。しかも体重をかけるのは怖い、絶妙な太さ(細さ)。この枝は、擁壁下の隙間に挟まっているものを含め、上から崩れて流されてきて押し寄せている木からのもの。どエライ状況。
にしても、健気なのはこのコンクリ擁壁。コレのおかげで攻略できただけでなく、これ以上の崩落を食い止めているように見える。コイツがイカれたら…凄まじいことになるやろうな…。
現場を振り返り。時刻はおよそ、11時ジャスト。
この写真のみ、隊長の記事より拝借(笑)。すんませーん!
我ら決死隊、「物理的に進めなくなるまでは」突き進むのだ!!オオオーー!!
…という気概で臨んでいたが(笑)、体力と時間の冷静な判断も必要。
最初の大崩落地点の段階で往復12kmが確定、以降500m進むたびに総歩行距離は自動的に1km増えていくという、過酷な条件。そして、帰路の所要時間も。
3月の日照時間から考えれば、多少のマージンを残しても正午には撤退を始めるくらいでないとあきませんな…ということで。
あと1時間。それまでは前進アルノミ!!
ある意味レアな(笑)、無事な暗渠とか、
相変わらずの絶壁感とか、
ここへきてようやく撮影した、レール転用グレーチング?とか、
何かに加工中に打ち捨てられたと思しきレールとか、
やっぱりコテンパンにブチのめされてる暗渠とか、
…え?
しゅ、「集合解散場所」ぉ!?
その近辺で、お懐かしや!の、コーラとファンタの大瓶を発見!
実はココより前にもこの「集合解散場所」がもう1箇所あった。おそらく林業従事者のための表示だと思われたが、どっから集合して!?
…という疑問の答えかもしれないものに、ほどなくして出会った。
時刻は、11時26分。
銚子川第二発電所以来、初めての建造物が。
そして、その奥に…!
進軍開始以来約4時間50分、距離にして約8.6km。魔境の奥深くで出会ったモノとは…。
こういう展開。ドラクエでもあったぞ(笑)。
【8】に続く。