2011年7月23日、第二次鎌倉探索。某所の仏画トンネルの探索を終えたわたくし、江ノ電で移動。
やってきたのはコチラ。
わたくしの年代ではサザンや稲村ヂェーン ジェーンでおなじみの、稲村ヶ崎。ちなみに、住所表記は稲村「ガ」崎。
ココに何しに来たかっつうと、海を見に来た(爆)。
いや、田舎モンとしては、ちょっとこういう有名なとこに来てみたいのよ、話のネタに(笑)。
なんやけど、地図を見るとちょっと西に橋があり、しかもソイツが匂う。少し回り道やけど、行ってみた。
そしたら、
ビンゴ~!
やはり匂いは気のせいじゃなかった。どストライクだ。
匂いを感じたのは、いかにも海岸線を走る国道134号の旧道・・・という前身にあたる道っぽかったので、それなりに古い橋があるんじゃないかな~という読みだったのだが。
まずお名前。
「おとな志はし」・・・か?
そして、
「大正十五年二月成」。大正橋梁キターー!
この時は知らなかったのだが、関東地方には関東大震災(大正12年9月1日発生)からの復興事業で架けられた橋が多くある。この橋もそうなのかも。
上流側の欄干。
うーん、シンプルかつ端正ですなあ~イイですなあ~。
その向こう、上流側の景がコチラ。
なんだか得体の知れない、関西では見ない類いの川の相。でもなんか魅力的だ。
ちなみに、川の名は、音無川(後で調べた)。
西側に渡って振り返り。
左の親柱には、東側と同じ竣工年。
個人的に、どうしても撮ってしまうのがこういうカットなんやけど、
イイわ~。(ビョーキ
しかしこうして見ると、束柱と高欄笠石は石(人造石?)で、アーチ部はコンクリートなんですな。
さて、右側の親柱には漢字で「音無橋」と橋名が刻まれていたのだが、
不覚にも、ここで初めて気づいた。
充腹アーチ橋やん!!
ただのステキ橋じゃなかった。かなりのステキ橋だった。
しかもよく見ると、シンプルながらも
スパンドレルに意匠が施されている。コンクリ充腹アーチでよく見るタイプの意匠ではあるけど。
いや、コレは思わぬボーナスやったわ。よかった~遭えて。
引きで一枚。
コレ良くないっすか!?
道好き、旧道好きならグッとくる、この絶妙なうねり。現代の道では絶対に醸し出せない類いの・・・なんだろう、優しさ?を感じる。落ちつくわ~(笑)。
最後に、国道134号の音無橋から望む、旧・音無橋。
うむ、やはり独特なこの川の相。
やはり隧道と同じく川も房総ちっくだ、鎌倉ってとこは。
ズームして見ると、意外なことが判明。
ありゃあ?鋼アーチが下に覗いている。
コレは・・・たまにある、開腹の鋼アーチから改造されたパターンか?けど、あの橋の直下に行くのは、ちっとばかし難しそう。
まあ、わたくしはもう気が済んだ(笑)。
音無橋付近からはもう、
稲村ヶ崎が指呼の距離に。
そうそう、コレを見に来たんだった(笑)。
以上、完結。