2日間にわたる煉瓦祭り@愛知の2日目である2014年11月16日。途中離脱させていただく直前にめぐり会った物件をご紹介。おろろん教授が見つけてきてくれたんだっけな~。いや、感謝感謝。
さ、タメずに行きますよ。
これ。
川の名は白川。下流側、北西からのファーストコンタクトになる。
気づく人は色んなことに気づく(笑)であろう、一見してただならぬ橋。けど、まあ順に行こう。
まずは、欄干…
が、実にイイんだけども、注目すべきは橋脚。
先端を尖らせた、いわゆる水切りと呼ばれる水制工が施されている。これは…!
そして、
両端のコレ。
このほんの短い一径間だけがアーチになっていて、そして上流側になにやらゴッツい付加構造物があるようだ。
コレは…ドキドキするねぇ…タダモノでない予感バリバリ!
西側から正対。
2t制限の標識のほうが目立つ、存外にあっさりした印象。
が、右側の親柱を見て、あっさりどころじゃなくなった。
「白川立切」。立切だと!?
「立切(たてきり)」。取水や水位調整のために水路や河川を一時的に閉め切る堰のようなイメージで理解している。それこそ用語としてはどっかで目にしたことがあったかもしれないが、実際に銘板が付いてるのは初めて見た。ましてや、橋だと思っていたものにこんな銘板がついてるなんて、今に至るも他に知らない。 空~前絶後のぉーーーー!!(笑)
現時点では、間違いなく橋として供用されているので、「道路橋・橋梁」書庫で扱うこととする。
お誕生日は、
「昭和九年三月竣功」。古い!
戦前橋にしては非常にキレイだ。てっきり昭和二十年代後半くらいかと。
そしてなんといっても気になるのは、
この親柱と一体化した巨大付加構造物。
なんだと思うかね?コレ実はね…
こうなっとるのよ。
上部に開口したスリット。
ピンときた?わたくしはピーンときたよ(笑)。
上流側からの引きアングルでご覧あれ。
こりゃ水門だ。
両端の付加構造物は、スルースゲートの格納スペースだった。こうなると、真ん中の三径間にも何か構造物があったのだろうか。マイタ―ゲート的なやつが。これは立切としての現役時代の姿を見てみたい!
現役時代の姿は見られないけど、それを多少なりともイメージできる追加情報は、【後篇】にて。