【前篇】より続く。
橋上から望む、
白川、下流側。
そして
上流側。
あの水管橋もけっこう古そうだ。両岸にゲートがありますな・・・。
東側に渡りきるところで見る、
この感じ。
うむ、この道、古くからあるっぽい微妙なカーブを描いている。イイね~こういうの。
東側から見ても、
スルースゲートの位置が逆になっただけで、西側とクリソツ。
・・・って、
・・・あれ?
ここでわたくし、今さらながらに重要なものに気づいてしまった。あーアレ!ってことは…もしかして!?
んー、でももうちょい引っ張ろうか(笑)。
こっちの銘板もやはり西側と同じ。でも、
字体が違う(笑)。こっちのほうが味があって好きだなボカァ(笑)。
てかコレ、もしかして…
4枚の銘板、全部違う人が書いてないか?
それぞれテイストが違うんですけど?面白いなあ~。
うーん、
スルースゲートが残ってたら良かったのにな~!
いつ頃まで現役の「立切」として稼働してたのだろうか。ちょっと調べた限りでは判明しなかったものの、考えうる範囲でまず昭和43年の豊川用水完成、というタイミングがある。
長く水不足に悩まされたというこの一帯。安定した水の供給をもたらす用水の完成をもって、農業用水取水のために稼働していたこの立切が役目を終えた、というのは有り得ると思う。
あるいは、この白川と流入先の音羽川が本格的な改修を受けたのが昭和53年からだということだったので、そのタイミングか。
まあ、細かいことはいい(笑)。
とりあえずカッコイイわ、白川立切。
さー、さて。
先ほどわたくしが遅ればせながら気づいたもの、アレって・・・
アレですよね!?なんやねん(笑)。
側壁に残るペイント。まぎれもなく、流れをせき止めるフラップの角度を示すものだ。おおお…
ならば、と反対側を見てみれば、
さらに、はっきりクッキリ!
そしてわたくし、気づいてしまった。
ペイントだけじゃなくて、そのものズバリじゃねぇの?
アレって、フラップが完全に倒された状態で放棄されてるよな!?
間違いないよ。
そうとわかって改めて見れば、
完全にそうやん!!
よく見たら、紛れもなくフラップ。金属部材が飛び出してるのもわかる。
いや~、いろんなのがあるもんですね~。
この物件は面白かった。よととさんと宮川さん、師匠2人をお待たせしてまでしゃぶり尽くした甲斐があったというものよ(笑)。
以上、完結。