無患子隧道 (廃) 【後篇】 (石川県能美市和気町~仏大寺町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
【前篇】より続く。
 
 
 
 
現トンネルを抜けて、
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仏大寺町側の旧道へ。
 
すぐにこのような丁字路が現れる。向こうの道はガードレールで封鎖されている。
 
 

 

 

 
 
その向こうに見えるのは、
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アーチ橋…じゃなくって、現トンネルのポータル。
 
この道は、仏大寺の集落へ向かう道の旧道にあたり、今はトンネル手前から普通に右へと分岐する道が整備されている。
 
 
 
 
で、丁字路のもう一方に…
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いらっしゃいましたね~。
 
 
 
 
 
なかなか奥ゆかしいそのお姿。
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3mの高さ制限、2.3mの幅員制限標識がぶっ倒れているのが、いとをかし。
 
つまりこの丁字路、どっちへ進んでも行き止まりなわけなのだが、それでもやっぱり進入を止めるものは特に置かれてなかった…と思う。あっ、この当時(2014年5月)の情報ですよ(笑)。
 

 

 

 

 
正対、ローアングルで。
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無患子隧道、仏大寺町側坑口。
 
こちらはやたらと付加物が目立つなあ。左側のぶっといパイプなんて無粋極まりないのだが、これはこれで、なんか…生物機械っぽいってか、バイオメカニカル感が(意味不明)。まああの…個人の感想です(笑)。
 
 
 
そして、コレ。
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たぶん洞内照明などの設備だったと思うのだが、ガワはだいぶ朽ち果てていた。内部ももうダメだっただろうな…。
 
 
 
 
で、こちら側の扁額は、何とかお見せできる程度には撮れた0945ea29.jpg

「むくろじ隧道」。
 

で、注目すべきは名前の下「昭和八年八月竣工」とある。

やはり和気町側にあった平成の銘板は、後年の工事のものだった。
 
味のある字体は、昭和7~9年に石川県知事を務めた山口安憲氏の揮毫によるもののよう。左端に署名が入っていた。
 
 
 
でも結局のところ、こちらもしっかりと塞がれているので、やはり中には入れない。
 
 
 

が、まだひとつやれることがあったe2c0470e.jpg

坑口前への乗り入れ!

 
こっちは幸い接近してもスタックの心配はなさそうだったので、ズズイ~と奥へ(笑)。
 
 
 
 
 
 
こんなお遊びを楽しみつつ、
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洞内を照らしてみた。
 
 
 
 
 
結果…
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思ったほど明るくならなかったが、洞内の様子は捉えられた。
 
うむ、アーチ頂部に蛍光灯っぽい照明が、まだ残ってるな~。点かないだろうけど。
反対側から見た時は中央あたりが素掘りっぽく見えたが、やはりオールコンクリ巻きだったことが判明。アーチ部に黒い部分があって縞しま状になっているのが気になるが…補強板でも巻かれてたのかな?
 
 
 
 
 
意味なくローアングルで(笑)。
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いや~、なかなかの狭さ。改良されるのも頷けた。
 
 
 
 
堪能した。入れはしなかったが、満足して隧道を後にした。
 
 
 
 

最後におまけ。

 
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わたくし知らなかったが、無患子(ムクロジ)って木の名前だったんですな。興味のある方は拡大してご覧あれ。
 
 
ここのすぐ後にこんな寄り道。他いくつか寄り道して、帰ったら午前3時前だった記憶が(爆)。さっさと帰れよ。
 
 
 
 
以上、完結。