【7】より続く。
樫山小匠線探索へと復帰…の前に、
ちょっとおさらいをしておこうかね。
「ここからリスタート!」ってことでね。
10時24分、進軍再開。
この角度で見る栃の川橋と旧橋台、キテルね。
ここからわずか数十mのところで、
このささやかな切通しを抜けて小匠川岸へと戻るのだが、この時完全に見逃していたものがあった。赤矢印のところ…。
コレに気づいたのは、実は樫山からの戻りの時。
なんとなんと、ここにもお地蔵様が!
これまた素晴らしく優しいお顔をしていらっしゃる。錫杖も携えず、先に見た高野のお地蔵様よりも素朴な印象。そこに刻まれていた文字は、
向かって右、 「元治元子年(?)」
向かって左、 「小匠村 世話人 谷●作(?)」
と見える。
元治元年は1864年。明治の前が慶応、その更に前の年号ってことで、実に150年以上前である。ヒャー!
この年は子(子申/きのえね)の年なので、こう刻まれているのではないか…と、あくまで推測。左側の世話人の名前も、なんとなくそう見えませんか?のレベル。
帰りにはカメラとスマホのバッテリーがほぼゼロ状態だったんでこの1枚しか撮れなかったけど、最後にこの見落としを発見できたことは本当に嬉しかった。同じ道の往復は本来つまらないけど、こういう見落としを拾えるのが最大のメリットですな。
まあ行きには気づかないまま、サクサク進む。
ここらあたり、道が現役の時も怖かっただろうね~。
写真中央あたりのトラップ、わかるかな?
これ。
この手のプチ桟橋トラップ、全線で随所に見られた。
下の木、すでに腐りかけてるしね(汗)。最初から桟橋だったのか、イカレた路肩を桟橋状に補修したのか。恐らく後者だと思う…。
進軍再開から7分後、10時31分。
隧道…ではないよね。あれは…
(この写真、水平が取れてない、申し訳ないです)
ガッツリと
切通し。
土被りがもっとあったならば隧道になっていたところだろうが、切り通せる高さだったってとこか。
しかしこのさして大規模でもない切通しで、
小匠川の流れを大きくショートカット。
これは樫山側からの振り返り。わかりにくいかもしれないが、こちらに向かって上り勾配になっている。
そしてそこから、行く手(樫山側)を望む。
この切通しも、印象的なランドマークだった。
ここからしばらくは、いくつかの写真で林道の表情をお楽しみください。
手抜き?ああ、そうともさ!(爆)
いやいや、ほんと我ながらビックリするほど写真を撮りまくったんだけれども、同じような写真ばっかり貼っても、ねえ。なので、これでも厳選した写真だと思って、温かい目でご覧あれ(笑)。
光と影の織り成すタペストリー。…とか言いたい(笑)。
実質的に廃ではあるが、歩行に際しては何ら問題のない歩きやすい道が、ほとんどそれとわからない程度の上り勾配で続いていた。
極上だった。そうとしか言いようがない。
10時58分。
しばらくぶりのアクセントが現れた。
【9】に続く。