【3】より続く。
小櫃川から崖をよじ登り(登らせていただき・笑)、笹薮を突破して
たどり着きましたよ
埋没隧道、東側坑口へ。
コチラはさらにエライ事になっている。埋まっているというより、逆に洞内から砂があふれ出しているみたいな。
にしてもこの隧道、延長はたぶん20mあるかないかくらいだと思うのだが、両側坑口の高低差がけっこうあるように思う。さきほどの西側坑口が、川面からおよそ2~3mくらいの高さだったかと思うが、この東側坑口は5mくらいはあるんじゃなかろうか。
かなりな片勾配の、小櫃川に向かって転げ落ちるような、相当面白い隧道だったと思われる。
で・・・またしても
閉塞してることは一目瞭然なのに、
執念を燃やす男が(笑)。・・・いや、
男たちが(爆)。
こういうとこ、穴を極めし男たちに共通してるなあ・・・よととさん然り、険酷隧さん然り、マフ巻きさん然り。
思わず胸が熱くなる(爆)。
いや、実際んとこ、
わたくしも突っ込んでみれば、このくらいの空洞が存在した。
もちろん入り込めるほどの隙間ではないのだが、まあまあ続いていそうだった・・・ような気がする(笑)。
こうなると、ですね、
まききさんの強力照明による検証を。
こうやって洞内隙間を照射しておいて、先ほどの西側坑口から覗き込んだ時に、はたしてその明かりが見える・・・または感じ取れるのか?
・・・というわけで、doodoongooさんとまききさんは確認のため西側坑口へ戻り、わたくしとパパゲーノさんは待機。「あいつら、バカじゃね?」とか言いながら・・・って、嘘ですウソ(笑)。
結果どうだったか?
正直、記憶が定かでないのだが(笑)、
まききさんからいただいた写真を確認した限りでは・・・
どうやら、明かりは、あるいは明かりのかけらは見られなかったようで。
さすがにキツかったか。
でもこの隧道、おろろんさんじゃないけど、掘れば再貫通できるよなあ・・・。なんつっても岩じゃなくて砂だからシャベルでOKだし、しかも小櫃川に向かっての急勾配がついているとなりゃあズリの搬出も比較的容易・・・プププ。
これはぜひ地元有志にお願いしたい!(ぇ
まききさんとdoodoongooさんは西側坑口からそのまま最初来たルートを戻って、パパゲーノさんとわたくしは東側坑口からさらに登って、おのおの上の道路へと復帰。埋没隧道の探索は終了した。
これが、お忙しい中まききさんが作成くださった、
埋没隧道と道路変遷の概念図。拡大してご覧ください。
それにしても相当強引な線形であり隧道ですなあ・・・これもすべて暴走クオリティのなせるわざなのか?渡河地点と道路の高低差の関係とか、それなりの理由はあるんだろうと思うのだが・・・。
お得意のポーズをキメるdoodoongooさん。
ちょうどあのあたりが、(上の図にもあるが)短命に終わった隧道があったあたりだ。
この幻の隧道についても、ご近所のおばあさんよりまききさんが証言を得ておられるということで・・・。おばあさん曰く
・「砂山を丸く掘った穴で、しょっちゅうボロボロ崩れていた」
・「自動車(トラック)も通っていた」
・「嫁が家事をしなくて(ry 」 (・・・ヲイ・笑)
だとか。そんなこともあって、早いとこ掘割にされちゃったのかな、と思われる。
ところで、上の写真でわたくしがなんか見てますでしょ?
ほんでもって・・・
「ここになんかある~」的なこと言うとりますわ(笑)。
ふっふっふっ。もう終わりだと思ってたでしょ~?
そこにあったのは・・・
ええええ~・・・
道路に面して、なにやら・・・のぞいてますが?
接近してみると・・・
!? こ、これは・・・
新たなる埋没隧道!?ウソでしょ?この房総クオリティ・・・。めっちゃしっかりした穴じゃないのよ!
そして、この低い位置。コイツは一体・・・?
こっちは砂山どころか堅牢そのものに見える。
しかもだ。なんか・・・見えない?
ズームしてみて・・・
なにアレ?
なんだろう。左にのぞいているのは、鍋のフタか、あるいは軽車両(昔の自転車とか手押し車とか)のホイールみたいにも見える。
ご覧のように、あまりにも切り立った段差が大きくて、内部潜入は断念したが、なんなんだ?この隧道?穴?は。
この穴は、もちろんまききさんもすでにご存じ。当初は、この穴が明治の地形図にある隧道かと考えられたそうなのだが、ご老人の証言により、先ほど見てきた埋没隧道がそれだと確定できたのだそう。
ならばこの穴は?まききさんによると、
「『コロネット作戦』時代の狙撃か防御陣地かも知れません。
ちょーど穴(出入口)が道路の方を向いているので、ソレっぽい線が濃厚だと思います。」
ちょーど穴(出入口)が道路の方を向いているので、ソレっぽい線が濃厚だと思います。」
わたくしはまるっきり素人だけども、近年は戦争遺跡も精力的に探索しているまききさんだけに、それなりの確信がおありの様子。どうやらこの穴は戦時中の、ソッチ方面の穴遺構らしい。
てことは?内部にあったあの謎の残留物も、その時代の・・・?だとしたら凄いな・・・。
記事は以上。
だがここで、まききさんからのご依頼により重要な訂正を。今回の明治の地形図にあった隧道、まききさんが探索発見されたことには間違いないが、そもそもの情報を提供されたのは、わたくしもこの時に楽しいネタをいただいた、「学生服のヤマダ」さんだったのだそう。
まききさん本人も、ここに隧道なんて??と半信半疑状態だったそうなのだが、これはもうさすがの隧道情報職人!と脱毛・・・もとい脱帽であります。
最後に、大盛橋から隧道付近を。
いやほんと、まさかまさかの明治隧道ここにあり、でございました。
あー、最終回だけやたらボリューミィに・・・(笑)。
※今回、5、8、9、10、15枚目(最後)の写真がまききさんからいただいたものです。
以上、完結。