2014年8月30日。クソ暑い中、仕事を半休して京都市内の橋チェックを敢行したこの日、既発ネタとしては天神川の巨大暗渠。
今回ご紹介するのは、そのわずか8分後に巡りあった橋。遠くからのひと目でズキューンときちゃったよ。
遠くからのひと目↓
ズキューン!
一発で「古い」とわかるたたずまい。あれは当たりだ。さっそく急行!
東より。
おおお…
間違いない。
当たりです。大当たりです。
大正橋梁の可能性もありそうなビジュアル。向かって左の親柱には、「平橋」、右の親柱には(知ってなきゃ読めなかったかも)「紙屋川」。
あ、場所はコチラ。
なんといっても、
この高欄ですよ。
このデザイン、大正橋梁(大正時代に架けられた橋のことですよ、念のため)の香りがムンムンする。
人様が撮らないアングルで。
おっと、革靴が(笑)。
舐めるよーに
高欄を鑑賞してたら…おお!
コレは初めてのケースかも!?
何が?って?気づきませんか?
この位置は
見たことないわ~。
トリッキーな位置に竣工年が刻まれているのはたまにあることだが、この位置は初めて見た。しかし、文字の一部が欄干で隠れているところを見るとなんか不自然…。んん~?親柱の向きでも変わったりした?
てか、わたくしの見立て、思いっきり外れてたやん(笑)。
「昭和十一年五月架設」
あらら、思ったより新しかったな。とはいえそれでも戦前の橋ではあったけど。まあ、フシアナってことですな(笑)。
そして、西より。
こちらも、親柱は橋名と河川名。
ちなみに左側の「平橋」親柱の裏側にあの竣工年表記が。さっきは親柱の向きが変わったのかとか思ったけど、こうして見るとやはり当初からあの位置に刻まれていたとしか思えないな~。
なんにせよ、昔のわたくしなら見逃してたな、間違いない(笑)。
今さらながら、脇の高架は国鉄の山陰本線…またの名を(笑)JR嵯峨野線。わたくしが現役鉄だったころは地平を走っていたので、この橋はまさに線路と並走していたことになる。
高架化に伴ってこの辺りもいろいろ変わったけど、よくぞ残ってくれたものだ、平橋。
最後に、高架をはさんで北側からのサイドアングル。
いやほんと、よく架け替えられなかったもんだわ。
ちなみに下流に見える橋(冒頭の写真を撮った場所でもある)も、なかなかどうして悪くない橋。記事にするかどうかはわからんけど(笑)。
以上、完結。