2日間にわたる煉瓦祭り@愛知の2日目、2014年11月16日。途中離脱させていただいて蒲郡駅近くに停めた車に戻った後、最初に訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしてるのは、朝イチの硯川橋梁、離脱直前の白川立切、夕方のトラス能舞台。
向かったのは、蒲郡市街から北上、岡崎市との境界となる
この隧道。
正対。もちろんこれは蒲郡側。
遠目に見てわかっていたことだが、コンクリートのポータル。コレがなかなかのもの。
ちょっと寄って見る。
初期のコンクリ隧道に時に見られる、スパンドレルに象られた三角形文様。同時期のコンクリ充腹アーチ橋でも同様の意匠が散見される。
んで、アーチ環の切石は…どうも本物?このあたりはまた後ほど。
のぞきこんでみた洞内。
市街地からもほど近い国道のトンネルとしちゃあ、実に狭い。これだけでも古い隧道だというのが一目瞭然だった。
岡崎側に抜ける前に、ひとつご紹介しておかないといけないものが。
それがコチラ。
わかりますかね?写真右端の。
実はこれ、車を降りてから気づいた。到着時はどうしても隧道と、極力邪魔にならない停車場所に意識が行くので。こんなにあからさまなのに、危うく見落とすとこだった。
多少藪が五月蠅いが、もちろん接近した。
かなりトールサイズ(笑)なその石碑。
凄まじい達筆にたじろいだが…(笑)。
「鉢地坂開鑿碑」と刻まれているようだった。そう、申し遅れましたがこの隧道、鉢地坂(ハツチザカ)隧道と申しますの。石碑には、何か…埋め込まれているようだった。
おお~!
コレは嬉しい!判読容易な金属製!
「開鑿史」とあるとおり、隧道開鑿までの歴史が時系列で刻まれており、読み応え充分!大きめのサイズで貼りましたので、興味のある方は是非ご覧あれ。
とはいえ読まない方がほとんどだと思うので(笑)補足しておくと、「明治参拾六年四月」に隧道開鑿への動きが始まり、完成は「昭和八年十二月二十八日」と。30年以上かかってようやく完成を見たこの隧道、携わった人たちの喜びもひとしおだっただろう。
ちなみにこの隧道、土木学会選希代土木遺産Cランク物件である。
では、隧道を抜けて岡崎市側へ。
ちなみにこの隧道のスペックは、
延長468m、幅員5.2m、有効高4.0mとなっている。
で、抜けまして、
引きで見たところが個人的ベストショット。
ものごっつい掘割!
地味に凄いと思った、この深い掘割。この掘割だけでも相当な労力だと思うけど、敢えてこの場所に隧道を穿った理由は何だろう。総合的なメリットとして、この位置しか考えられなかった、ってことか。でもこれなら、掘割にせずにさらに隧道で抜けたほうがまだマシだったんじゃ?
なんにせよアンタ…カッコいいよ…。
改めて、正対。
うむ、戦前のコンクリ隧道の正統派ですな。
ここで気になったのが、
劣化が見られるコンクリに対し、ほぼ何の影響も受けていないアーチ環。やっぱこの切石は本物みたいやな。
でもなんで、
ポータル向かって左だけあんなに劣化してるんだろうか?不思議。
そんなに期待せずに来たけど、
なかなかいい隧道だった。堪能した。
この後引き返して蒲郡市街へと戻ったが、その途中の国道脇にあるのが、このステキハウス(笑)。
いじょう。












