【4】より続く。
もうええでしょうが、一応場所はココ。
壊滅状態の三重県道603号大杉谷海山線・大台側。「虐殺された県道」を遡上すること40分弱、ようやく辿り着いた水呑トンネル坑口。ここが最大の目的地だっただけに、無事に到達できたことにまずは一安心。
向かって左の法面が崩れているように見えるが、多分上からの土砂を左側へ避けただけではないかと。なんであれ、ここまでに見てきた惨状に比べれば、思いのほか平穏なトンネルの姿。
銘板の類いは見当たらなかったが、扁額はあった。
トンネル名の下にも何か書かれているが、読み取りにくい。「三重県知事~」と書かれているように見えるが。
坑口前から振り返り。
明確にそれと示すものは何もないが、そこはかとなく漂う「廃」の気配。往来の通わない道路だけが纏う気配だ。あちらに見える行政境界看板には「宮川村」とある。
当時の自分はまともに洞内の撮影もしていなかったので、その様子はお伝えできないが、トンネル自体は面白みのない、ごく普通のコンクリ物件だったのでご安心を(謎)。
ちなみに「平成16年度道路施設現況調査」でのスペックは、昭和49年製、延長284m、全幅4.0m、有効高4.6m。自分の記憶が確かならば、この当時は初心者すぎて照明は本当に貧弱な、まさに懐中電灯的なものだったと思う。そして歩いてトンネルを抜けるのも僅かに数回の経験のみ。284mとはいえ無灯のこのトンネルを抜けるのにもまあまあビビっていたような記憶が(笑)。
そんなこんなで、海山側へ。
この時は知る由もなかったが、海山側からは車でここまで到達できる状態だったようだ。自分ではアンタッチャブルな物件へ到達したような気分でいたのに(笑)。
とにかく、歩いて海山へ入ったどー!(爆)
こちらが海山側坑口。なぜか残念なピンボケ。これが唯一の写真やのに(泣)。
かくして、目的は果たした。初めての探索らしい探索の成果に満足した自分、この先はまた別の機会があるだろう…とここで引き返すことにした。…以来4年、未だ再訪は果たしていない(汗)。
再び大台側へ。