2012年12月14日、名古屋在住時に電車で訪ねた犬山。やはり天下の国宝・犬山城を一度は拝んでおきたいと思って…行ったわけではない(笑)。この趣味をやってれば見逃すわけにはいかない大ネタがあるのでございます。
・・・みたいなイントロで遥か昔に記事にしたこの日のネタは、時系列で彩雲橋、城下隧道。今宵ご紹介するのは、それらの前、最初に訪ねた物件。考えてみりゃ、逆から順に記事にしてんのね・・・さすがわたくし(笑)。
接近するまでにもイロイロ撮ったんだけども、やはりタメるのはやめて、
いきなりドーン!と。
はいっこれ。この見事なワーレントラス橋梁。
地図を見ずとも、踏切があるので鉄道橋梁であることはわかると思うが、なんか・・・
鉄道橋梁にあるまじきモノがあるんですが?
めっちゃ立派な、モノリス型の親柱!こんな鉄道橋梁、見たことない!
残念ながら親柱のある場所には立ち入れないのだが(人目もあったのは後述)、実はこの橋梁、以前は道路橋だった。
いや、正確には「鉄道道路併用橋」、つまり鉄道と自動車、両方が渡れる橋だったのであります。この立派すぎる親柱はその生き証人。
なので、お名前も
「犬山橋」。
鉄道らしい「ナントカ橋梁」じゃ~ないのだ。
踏切から正対。
おおおををを・・・。
この幅員で道路併用はヤバい。ヤバすぎる。
併用橋時代の写真や映像を見ると、線路の両側に道路があって、普通に大型車も走っているという地獄のようなカオス(笑)。
実は上下線の線路間隔、これでも拡げたそうで、併用橋時代にはもっと近かったんだとか。なので、速度を出すと列車同士がすれ違う時に揺れ方次第では接触する恐れがあったので、25kmの速度制限が設けられていたとか、あげく橋への同時進入禁止措置を講じていたとか、もう凄まじいトンデモ橋だったのであった・・・らしい。
渡る河川は、
木曽川。
この重要河川をなんでこんな併用橋いっちょでなんとかしようとしたのか理解に苦しむが(笑)、実際のところ1926(大正15/昭和元)年の供用開始から2000(平成12)年3月28日まで実に74年間、この幅員をギュウギュウ詰めで走り続けたのである!いや~凄いわ。
拙ブログのお客様にも、この橋の現役併用橋時代に渡ったことのある羨ましい方がおられるような気がするが(笑)、自分もぜひ体感してみたかったなあ~。
格好よろしいなあしかし。
唯一無二の、このテイスト。ちなみにこの橋梁、土木学会選近代土木遺産Bランクの評価。
気になってる人もいるかもしれないが、この日はちょうど橋のメンテナンスをされていた。写りこんでるのは、その作業員の方々。なので、親柱も接近しての鑑賞ができなかった。
さて、
ちょっくら下に降りてみましょうかね?
幸い簡単に下には降りられた(・・・と思う、確か・笑)。
作業日ゆえに緑のネットは残念だが、
見よ、この偉大なる橋台を!
さすがに、要塞のような堅牢さよ。
これとか、
城門の一部を切り取ったような。
もう、見事の一言に尽きる。
ちなみに橋の下の護岸は、こんな感じ。
なんか珍しい、玉石練り積み(・・・って言うのかこういうのも?)。
や、歩きにくいんですけど・・・(笑)。
逆サイド。
あのハシゴは使ってませんよ(笑)。
ちょっと残念だなあこの緑ネット。まあ仕方ない。
さ-、もちろん渡りますよ。
いや、渡れないので
隣接する橋から舐めまわしますよ!
もちろん、この道路橋(名称は同じく犬山橋、愛称はツインブリッジ)ができたことで併用状態が解消されたのだった。
はい、
舐めまわしてます。
いやもう、
ベロベロと舐めまわしています(笑)。
舐めまわしながら、【後篇】に続く。