谷出山隧道とあれやらこれやら 【2】 (滋賀県蒲生郡日野町下駒月) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
【1】より続く。
 
 
2015年7月20日、久々に訪れた谷出山隧道。この日の写真でもって、改めてこの隧道をご紹介いたします。執拗に(笑)。
 
 
 
 
まずは正対。
 
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おお、隧道前が広くなってる!
 
 
 
 
2009年4月の初訪問時がこれ。
 
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周囲の雰囲気としては、以前のほうが良かった、と言わざるを得ない。
 
が、隧道そのものは、いささかも変わっていない。その個性的なポータルも、もちろん。
 
 
では、舐めるように見てまいりましょ~。
 
 
 
 
まずはこれ、
 
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扁額。谷出山隧道
 
地味に立派な扁額。しかも陽刻。
 
フェイクで貼り付けられていたとおぼしき、アーチ環を模したモルタルが一部剥落し、要石部分の上部だけ残ってるのがご愛嬌(笑)。
 
 
まあこの扁額には最初から気づいたんだけども、こいつらを見逃してたのよねぇ…。
 
 
 
まず向かって左のスパンドレル部の
 
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「昭和五年三月竣工」
 
スパンドレルに直接刻まれた竣工年。昭和ひとケタ隧道にしてどこかモダンな印象も感じるのは、コンクリート製であるが故か。
 
…しかし、ようまあコレを見逃したな、あの頃の自分(笑)。
 
 
 
続いて、右のスパンドレル。
 
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「南比都佐村耕地整理組合」
 
南比都佐(みなみひづさ)村は、明治22年、町村制の施行に伴い近隣5ヶ村と下駒月村が合併して誕生した村。昭和30年にさらなる合併により現・日野町が誕生するまでの約66年間存在した。現在でも、近隣の小学校名にその名を残している。
そして「耕地整理組合」とは、明治32年に成立した「耕地整理法」を契機として全国的に広がったもので、土地改良を目的として地主層により組織された団体。
 
組合の名が刻まれているということは、この隧道が土地改良のために…つまり当時のスタンダードで言えば農地改良のために掘られた、農道隧道である、という出自を物語っている。
 
このあたりのこと、シリーズ最終回にて別の形で触れる予定。
 
 
 
前回も洞内の様子はお見せしたが、改めて。
 
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オール・コンクリブロック!
 
総煉瓦隧道とかもちろん圧巻だが、この総コンクリブロックってのも、見ようによっちゃあかなり美しい。…モルタル補修は雑やけどな!
 
そして当然のように、狭い。
 
 
この隧道は、隧道資料のバイブルである「平成16年度道路施設現況調査」や、昭和42年版「道路トンネル一覧」などには掲載されていない。その出自が公道ではないからだろうが、よってスペックも不明だ。
 
以前記事にした甲賀市の滝山田隧道が、恐らく滋賀県の車道隧道としては最狭だと思うのだが、体感的にはそれに近い狭さであると思う。
 
 
 
では、しばしその様子をお楽しみください。
 
 
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「たったひとつ」だった蛍光灯が、なぜかこの日は2ヶ所になっていた。電球替えてもらえたんかね?(笑)
 
 
隧道を抜けた先が上り勾配というこの素敵さ。間もなく抜ける。
 
 
 
 
【3】に続く。