昨日と打って変わって、軽ーいテーマで書こうと思います。

男女の友情。永遠のテーマです。


私は「あり、であって欲しい」です。

私にも、少なからず、男友達がいます。

その中には、全く恋愛対象でない人から、これは・・・・ちょっと好きになっちゃいそうだ!と思うような人まで、様々です。

でも現状、みんな友達です。


男女の友情、というテーマで、欠かせない論議として、「恋愛感情を持ってしまう、あるいは、すでに一方が持っている可能性」が挙げられます。

でも、そもそも「友情」って何ですか。

例えば、長い目で見て、同性であっても、「裏切られる可能性」というのがあります。

裏切られたら、程度によっては友情が壊れます。

でも、現状、友情は成り立っています。


男女間においても、同じことがいえるのではないでしょうか。

現状、友達。だけど、長い目で見たら、どうなるかは分からない。

恋愛感情がある、と分かるまでは、立派な友達です。


そんなものではないでしょうか?


ところで、私は今まで、友情から恋愛に発展したことがほとんどありません。

アレです。モテないんです。

ブログを読んで下さったならわかると思うんですが、理屈っぽい。女で理屈っぽいのは、モテません。多少、他人本位で生きていないと。

その上、顔も大した事がありません。

だから、今年の目標は、「見かけに気を配る」です。

見かけに気を配れば、内面も変わってくるのでは?と考えました。

私の中では、新しい発想です。

「男女間の友情を揺るがす」のをテーマに設定し、頑張ります。

森達也「死刑」

読み終わりました。


読み終わったら、感想を書こうと。前回の「途中経過」のような箇条書きではなく、きちんとした、自分なりの感想が書けたらなーなんて考えていたのですが、無理でした。

というのも、この本には、明確な主張がないのです(森氏の著作全体に言える事かも知れません)。


ただ言いたいのは、


みんな、読んで!


ということ。


あなたは、死刑廃止派か、存置派か。と聞かれたとき、どう答えますか?

私は、つい先日まで、完璧に存置派でした。

なぜかというと、その人の犯した「殺人」という犯罪が、被害者やその遺族に、どれだけの傷を残したか、それを償うにはどうしたらいいのか、と考えたときに「死をもって」償う、という方法が一番適当なんじゃないか、と単純に思っていたからです。

でも、それがなんと短絡的な考えなのか、この本を読んで初めて分かったのです。


私たちは、知らなすぎるのです。

被害者の死を悲しむ家族、恋人、友達がいるのであれば、それと同じだけ、加害者の犯したことに悲しむ人々がいるのだということ。

死刑執行という行為が、私たちの想像を超えるほどシステマチックに動いているということ。

死刑執行を決める人と、死刑を実際に執行する人が違うということ。

そして、執行に関わる人がいかに傷つくかということ。


・・・・・・・・・・・・・・・どうして私たちは知らないのでしょうか。

なにも知らない状態で、廃止だ、存置だ、なんていう事が、いかにナンセンスなことか。


私は、この本を読んで、完璧な存置派、からは抜け出しました。

ですが正直、完璧な廃止派、とは言い切れません。


この本で著者自身は、廃止派と言っていますが、書かれていることはとてもニュートラル、というか、多角的な方面から書かれているので、「死刑制度」を知るにあたって、とても信頼できる一冊だと感じました。


今本は友人に貸しています。

皆さんも、一冊読んで、誰かにオススメしてみてはいかがでしょうか?

もしかしたら、日本を民意で動かす好例に出来るかも知れないです。

・無知の無知、の恐ろしさ

→死刑制度の中身(執行の手順や、確定死刑囚の、執行までの生活環境など)


・メディアと政治の影響力、民意との負の連鎖

→民意はメディアや政治の影響で群れのように大きく揺れる。またメディアや政治も、利益や票稼ぎのために、民意を尊重する。よって、死刑制度存続を支持する人が圧倒的に多い現状では、廃止に持ち込む術がないということ。


・民意の「集団化」

→著者はオウム事件からドキュメンタリー作家としての道を歩み始めた人だからか、なにかとオウム事件を契機にしたがる節がある。

私にはあまり実感がないのだけど。

だとしたら、オウム事件は、政府が人を操りやすくなった、政府にとってありがたい事件だったのではないのだろうか。


恐ろしい世の中です。


以上が、森達也著の「死刑」を半分読んで、感じたことです。

連休中には、読破するでしょう。それくらい読み易い。オススメします。


というか・・・・・多くの人の目に触れて欲しい本です。


私は、世の中に対してかなり悲観的で、物事を疑ってかかるような人間なのに、死刑制度に対して何の疑問を持ったこともありませんでした。

だから、とても悔しいです。何も知らなかったこと。知る権利が行使できないほどの、徹底した守秘体制。

読んでください。

久々に本を買いました。

森達也/「死刑」という本です。

まだちょっとしか読んでいないので、何も書けませんが、森氏の著作はいつも、明確な答えなど書いておらず、ただただ「私の知らない、知るべきこと」が書いてあるだけなので、今回も「はぁ」とか「うわぁ」とか思いながら読むことになるのだろうな。

死刑制度に、完璧に無知なので、何色に染められるのか、楽しみです。そこから何か、私らしい絵が描ければ、なおさら良い。


何にしたって、世の中は「情」で出来ています。

誰かが人を殺した。殺された遺族は泣いている。だから犯人は死ぬべきだ。

犯人の家族、恋人、友達、犯人の気持ち。そんなものは、被害者への安い情で流されます。

こんな世の中に裁判員制度を投入するなんて、危なすぎます。


読み終えたら、また書く、かも知れません。


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そういえばこのブログ、検索の上位に「岸田繁」と。

2日ほど前のブログに、くるりの「東京」に関する日記を書いたので、もしくるり関連の検索で来て下さったのであれば、そちらをご覧下さい。コメント(というか、あなたなりの考え)を書いて頂けたら、なお嬉しいです。

釣りとがじゃないですよ。ほんとに。


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話を最後まで聞かずに話し始めてしまう人が、大嫌いです。

そういう人は大概、話の中核を理解していません。

なぜかというと、話のさわりの部分だけを聞いて、あとは自分の想像で、解釈してしまうからです。

自分の想像と、他人の想像が、同じわけがないんです。生まれも育ちも感覚も経験も違うのですから。


私の勤め先は、そういう人で溢れています。

最たるは部長です。こちらが話し始めた途端に「だからそれはさぁ・・・」と。

でも、うちの同期も負けていません。

しかも自分から話を振っておいて、こちらの返事を聞かないのです。

今日の出来事。

会議までに用意しておかなくてはならないモノがあったのです。


彼女「この○○、いくつぐらい必要かな」

私「100個あればいいんじゃない」

彼女「えー、100個もいらないよ。あそこ、100人も入らないもん」

私「でも、午前、午後に分かれて・・・」

彼女「いや、2つに分けても、そんなに入らない」

私「(面倒くさい)じゃあ50個くらいでいいんじゃないの」

彼女「そうかなぁ。」


私と彼女は同期なので、同じことしか知りません。

なのに、自分でモノを考えず、人にばかり頼るわりには、人の言うこともあまり受け入れません。

こっちがちょっと怒った口調で言っても、言い返してきます。

大嫌いです、こういう人。いらいら。


ただし、私にも非があります。

私は彼女と正反対の性格で、全て想像だけでなんとかしてしまうところがあるのです。人に聞くのが面倒くさい。

なので、慎重な彼女と大雑把な私、で会話が噛み合わないのです。


だからといって、会社において、なんでも人(しかも同期)に頼るのは良くありません。

彼女とこれからも一緒に仕事をするのかと思うと、部長に従って仕事するのと同じくらい嫌です。


こんな風にならぬよう、努力します。

あぁ、いらいら。