皆さま。

 

対馬の天童(天道)信仰は一種の太陽信仰で、対馬独自の祭祀から発生したものです。

 

天童法師という超人伝説に姿を変えて中世以降伝わっていますが、もとは神祇信仰の時代からの自然信仰がベースにあります。

 

天童信仰の中心地は南部の多久頭魂神社と北部の天神多久頭魂神社で、どちらもご神体は天道山と呼ばれる山。


南部には天道山(龍良山)を中心にして、北側の麓に天道法師祠(裏八丁角)、南側の麓に天道法師塔(表八丁角)があります。

 

どちらも聖地であり、特に南の表八丁角という場所は、「恐ろし所」といって、近寄ると祟りがあると言われ、地元の年配の人は近寄るのをいやがります。

 

今回は、対馬の天道信仰に関わる聖地をめぐったときの体験について綴ります。

 

よろしくお付き合いくださいませ。

 

 

天道信仰の霊地

所在地:天童法師塔(表八丁角)…長崎県対馬市厳原町浅藻

 

 

 

天童法師祠(裏八丁角)…長崎県対馬市厳原町豆酘



天童法師伝説

天童法師は、天武天皇白鳳二年(673年)対馬豆酸郡内院村に生まれた伝説の行者です。

 

彼の母親は朝日に向かって用を足していたとき、日光に感精して彼を妊娠しました。ゆえに、彼は太陽神、日の神の子供、<天童>と呼ばれることになりました。

 

日輪の精として天童と名付けられた彼は、知恵抜群で十一面観音の化身といわれ、9歳で上京し、仏道に入って修行をし、やがて対馬に帰島してきました。


大宝三年(703年)、ときの天皇、文武天皇が病の床についた。都の神官が亀卜を行い、対馬にいる天童法師に祈祷をさせれば治るという結果が出たため、急遽対馬に使者が発せられました。


法師は修行によって空中飛行の法力を修得しており、内院浦の山上から飛んで壱岐の小城山に至り、そこからさらに太宰府豊満岳を経由して、朝廷の御所の門前に降り立ちました。このとき、雨風を伴いながら降り立ったので、都人たちは大いに驚いたといいます。


法師は直ちに祭壇を築き秘法を修し、17日間の祈祷の末、見事天皇の病を癒すことに成功しました。


天皇は法師の法力に深く感じ、法師に宝野上人の菩薩号を授けたのです。

 

 

――――

 

天童法師塔(表八丁角)

 

 

厳原の龍良山(たてらやま)は、天童信仰の神体山として今でも地元の人たち
の崇敬を集める聖地となっています。


龍良山

 

この山の南に天童法師の墓と言われる石積みの塔(卒土)があります。


表八丁角 天童法師祭祀場




表八丁角への入口にある鳥居 清めの塩が置いてあった

 

鳥居の奥の小道を進んでいくと石積みの塔があります。土地の年配の人は、ここを<おとろし所>(恐ろし所)と呼んで、祟りを恐れ近寄ろうとはしません。

もし近づいたとしても、決して背中を見せず、後ずさりしてこの場を立ち去るようにするのだそうです。

かつては、ここに罪人が逃げ込んだ場合、それを追捕せずに見逃しました。

聖地にはタブーが付き物です。

 

――――

 

裏八丁角

龍良山の北側には天童法師の母を祀るとされる祠があります。

古びて、何の変哲もない場所のように見えますが、霊的には強烈な波動が土地全体から出ていました。

 

使い捨てカメラで撮影した写真には、正体不明の光が放射状に出ていました。

 

 

裏八丁角の拝殿

 

裏八丁角の拝殿から発せられた光(2002年6月1日撮影)

 

――――


私たちは対馬南部の天道山(龍良山)の南の麓にある天童法師塔(おそろし所)に行こうと何度か挑戦したのですが、時期やタイミングがなかなか合わず、対馬に行くようになって4年目に、ようやく時機が巡ってきました。

 

巡礼の旅では、強行突破をしない方がいいのです。

 

段取りが悪く道を迷ったり、邪魔が入るときには、まだそこへ行く「お許し」を頂いていないと解釈して、無理に押し入ろうとしないようにします。


なぜ祟りがあるのでしょうか?

 

この点から霊査を行うことにしました。

 

 

サイコメトリー情報(太字部分)

 

 

ここ(表八丁角)では重要な儀式を行っていた。

 

祭祀的なスポットには一般人を近寄らせないようにする必要があった。

 

恐いところだという噂を広め、禁足地にしておく必要があった。

 

みだりに近寄るなと言うタブーを作ったのは、そこが祭祀にとってきわめて神聖な意味を持った場所と見なされていたため。


古代の対馬の信仰は、浦々に海の神、日の神を祀る祭祀場があり、儀礼を共同体のリーダーでもある神官が執り行っていた。

 

共同体の中で神に選ばれた人が神官を務めるときに、特別な才能や能力をもった子供が生まれてくる必要があった。

 

その子供は神の使い、言い換えると神と人をつなぐ存在、神使、眷属と同義だった。

 

天童は神童であり、天の神、日の神の息子である必要があった。

世継ぎとなる「ヒコ」を産むための特別な儀式があった。

 

引き潮の渚で、朝日の昇る時刻に、男性の神官と女性の巫女が交わりを持った。

 

その巫女も共同体の中から特別に選抜されて育てられた女性であり、神を感じやすい女性であり、処女だった。


交わる場所、時刻は引き潮の渚、つまり潮が満ちたときには海になる遠浅の場所で、日の神の魂が入るためには、朝日が昇る時刻を選ぶ必要があった。

 

天道法師縁起には処女懐胎の物語が展開されています。

 

天道法師の母は太陽の光に感精して、法師を身ごもったと伝えられています。

 

しかし、実際はそこに男女の性愛的儀礼があったというのが、サイコメトリーから導かれた解釈になります。

 

この性愛儀礼には現代人の感覚から見ると、凄惨な結末を迎えることがあったといいます。



男女交合の後、巫女は龍良山の北側の祭祀場まで連れて行かれ、そこで妊娠したかどうかを確かめられた。

 

もし、妊娠していなければ、巫女はその場で殺された。

 

妊娠がわかったときは、臨月までその場に籠もり、神職以外の人間との接触はいっさい断たれた。
 

臨月になり、陣痛が始まる頃に、急いで龍良山を担いで登り、今度は南側に降りて塔のある場所に臨時の産屋を作り、出産させた。

 

生まれた子供が男子ならば、天童である可能性があるとされ、子供は「神の子」として丁重に育てられたが、ある程度の年齢が来ると本当に「日の子ども」なのかどうかの吟味が行われた。

 

もし、子どもに特別な才能がないとわかったならば、この子は神の子ではないと判断され、生贄として海神に捧げられた。

 

ヒコになった人は、先代のヒコが亡くなったときには、その力を受け継ぐ儀式として、彼の肉を食べる食人の儀礼も行われていた。

こうして代々神官たる男性、「ヒコ」が継がれていったというのが、サイコメトリーから導かれた解釈です。

 

これが、原始天童信仰の祭祀です。

 

民俗学の研究によれば、生贄とは産まれたときから初なままで養育され、何の罪穢れも知らない無垢な状態の人間、動物を希少価値のあるモノとして神に捧げることを意味します。

 

人間も神なる自然から産み出されてくるモノであり、その神の怒りを鎮めるため、あるいは加護を得るために、もっとも貴重なモノ=人間を捧げたのです。
 

犠牲にされた人間の魂は神なる自然に還っていき、それがまた巡り巡って共同体に恵みを与えます。

 

共同体全体の運命を左右しかねない重大な事態に陥ったとき、その局面を打開するために一番大切なモノを捧げること、すなわち人の命を捧げることを当時の人は思いついたのです。

 

モノが乏しかった頃、個人よりも共同体の存続の方が優先された時代の話です。


 

天童法師塔は、昔から卒土(ソト)と呼ばれているのですが、これは朝鮮にあった蘇塗(ソト)と同じ意味を持っているものと思われます。とすれば、朝鮮半島からもたらされた呪術的知識が、原始天道信仰の中にあってもおかしくはないでしょう。
 

このように、天童法師塔に赴くたびに、次々に新しいメッセージが入ってくるようになったわけですが、次に示すのは、この塔が建っている土地の特別な意味に関する情報です。



ここ(天童法師塔)は自然のエネルギーの集中する場所であり、霊力を身につけるための儀礼の行われた聖地だった。

 

塔は以前は何カ所もあり、シャーマンたちが塔の周りをグルグル回りながら「天のエネルギー」を得る儀礼を執り行っていた。

 

現存している塔も以前は、今よりずっと高かったものが崩れて今のような状態になっている。


ただ、ここで霊力の修行をしたシャーマンには極端な効果が現れ、呪詛系と祓い清め系のいずれかになってしまうため、この場所が持つ特殊な効果を隠すために、祟りのある「恐ろし所」であると吹聴した。


この地は生命エネルギーを増幅する意味を持った場所でもあった。

 

地元の人々は、子どもが生まれると天の神に感謝して、この塔に生まれたばかりの赤ん坊を横たえて、健康に育つように祈りを捧げた。

 

子どもが15歳になったときに、もう一度通過儀礼をこの塔の前で行うしきたりがあったはず。
 

ここはまた、葬地でもあった。

 

死期の迫っている者や死者は現在、塔の建っている場所のあたりに横たえられた。

 

やがて、死体は鳥や獣、ウジ虫、バクテリアに食い荒らされ白骨化していった。死者の身体は山の神に捧げられ、その魂は祖霊化して氏神になっていった。

 

山の神の使いとは、龍良山に生息している鳥獣、昆虫の一切である。

 

確かに、墓地、葬地とは古代の霊魂観では決して穢れの場ではなく、むしろ神聖な場(祭場)でした。

 

死骸が朽ち果て、その合間から草木が生え、やがて神の住まう杜になります。祠が死者の葬られた杜に建つようになりました。

 

八丁角が「おとろし所」(恐ろしい祟りのある所)と畏れられたのは、そこが氏神化した死者の魂が住まう聖地であり、人間の生死に関わる重要な儀礼の行われた場所だったためででしょう。
 

以上をまとめると、天童信仰は中世以降、天童法師という山林修行者の英雄伝説によって色づけされていますが、その本質は遙かな昔から続いてきた太陽信仰にあった事も分かってきました。

 

最後に、現地で発生したアクシデントについて述べておきます。2004年9月13日、私たちが初めて、「おそろし所」に到達することのできた日の話です。


まず豆酘の雑貨店で長靴、軍手、虫除けスプレーを買い込み、地元の人に現地の様子について情報収集を行って臨みました。

 

雑貨店の店主に言わせると、「あそこは元気をもらえる場所で、対馬の人間にとっては特別な意味を持った場所」とのことでした。

 

ただ、毒蛇が出るので、注意した方がいいとも言われました。

 

だいたいの位置確認をして、表八丁角まで車を乗り入れ、そこから先は、木の枝を杖にして徒歩で進みました。


天道山揺拝所のある場所から先は、小道しかなく、やがて道さえも分からなくなります。

 

鳥居をくぐった後、道なき道を進むことになり、目的地の塔が分からなくて、もう引き返そうかと思っていたときに、原生林の中に鳥居を発見しました。

 

 

急ぎ足で山を登って確認すると、確かに塔が建っていました。
 

塔の前で、一時休止して、それから参拝しようと思っていたのだが、そこでに異変が生じた。

塔の前に、髪の毛の長い女性の霊がこれ以上前に進むな、と立ちはだかっている。朝鮮半島系の装束をしたシャーマンのようないでたちの女性が塔の前に立っている。


その女性と霊的な交信してみると巫師の一人が言った後、急に塔によじ登り始めたのです。


彼女は、スタスタと塔の石垣をよじ登り、てっぺん近くの祠の前に立ったかと思うと、両手を大きく広げて上にあげ、クルリと回れ右をしたかと思うと、すでに目つきと顔つきが変わっていました。

 

「我はこの地を守る者なり。この地を汚す者は、何人たりとも許さぬ。ここをどこだと心得るか。お前たちは、一体何をしに来た!?」

彼女は、白目をむき、ものすごい形相で大声を上げました。完全に憑依状態になっていため、このまま放置すると事故の危険も出てきます。残りのスタッフが二人がかりで塔に上って彼女の身体を押さえ込みました。

 

私たちは憑依状態を解除するための「祓い」を行いました。早く、憑依しているものを外に出してしまわないと、彼女の身体がもたないと、とっさに判断してのことでした。
 

彼女は大声を上げた後、急に意識を失って倒れそうになりました。急いで、彼女の身体を支えながら、塔から降ろしました。しばらくして、意識を取り戻した様子だったので、いったいその間何が起こったのか訊いてみることにしたのです。


彼女が塔の前に座っていたとき、急に身体が空中に持ち上げられる感覚が来て、自分の意識が天の方に引き上げられてしまい、ものすごい力で引っ張られていったそうです。

 

もちろん、その間に自分が何を言ったのか全く覚えていません。あのような強い霊的な力に感応したのは生まれて初めてだというのです。
 

このように、霊地サイコメトリーには、想定外の出来事が発生することがあります。

 

霊媒体質者が、強い霊的な意識場に接触するとき、激烈な霊的危機(スピリチュアル・エマージェンシー)に陥ることがあります。

 

我を保つことができなくなり、自分とは違う何者かに身体を支配されたり、意識を失い、身体機能が弱またりして最悪の場合仮死状態に陥るようなこともあります。

 

そのような状態になったときに、祓いを執り行い正気を取り戻せるように緊急の祓いを行うことも珍しくはないのです。

 
【写真】憑依状態から抜け出した直後の様子
 

 

おわりに

 

天童法師塔と恐ろし所の言い伝えは、地上波のTV番組で何度か取り上げられていますし、ネットでは「心霊スポット」であるかのような取り上げ方をしているサイトもあります。

 

相変わらずのキワモノ、ミステリーツアー感覚。怖いもの見たさ&面白半分。

 

鬱蒼とした森の中。昼間でも薄暗い場所に、古びた石積みの塔があるという雰囲気だけで判断しているのです。

 

どうして、心の眼で見ようとしないのでしょうか。

 

霊的な仕事、あるいは「カミゴト」に関わる人間がここへ行って霊がでたとか、心霊スポット呼ばわりするのは完全に的を外しています。

 

私たちと付き合いのある巫師たちは、誰もが一度は対馬を訪れ、古い時代の信仰について学んでいるのですが、そこが心霊スポットだなんて言った者は一人もいません。

 

それに、対馬の郷土史に関する文献くらいは読んでおいた方が、間違った情報に左右されなくて済みます。

 

むしろ、このような場所は幽霊など無縁の場所であり、多少なりとも霊力を持っている人間が視れば、神霊の住まう場所であることくらいは分かるはずです。

 

ここへ訪れる際には、「カミなる自然」に対して畏れ敬うこころでもって臨んでください。

 

圧倒的な自然のパワーを感じられます。

 

 

 

 



参考文献


(1)    小松和彦(責任編集)2001 怪異の民俗学7 異人・生贄 河出書房新社
(2)    永留久恵 1994 対馬歴史観光 杉屋書店
(3)    永留久恵 1982 対馬の歴史探訪 杉屋書店
(4)    永留久恵 2001 海童と天童-対馬から見た日本の神々 大和書房

 

 

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