2月22日(金)

 

旅の2日目です。

 

九州  重留遺跡(北九州市小倉南区)

朝一番に いのちのたび博物館に行きました。

この博物館では、おもに自然科学の展示がされていて、

恐竜の模型や動物のはく製などがたくさん置かれています。(実は、わたしはこういうのも苦手。ひとりだったら、こわいです)

その一角に歴史コーナーがあります。

 

ここでは、重留遺跡の広形銅矛を見ました。

 

 

これはレプリカですが、埋納の状況がよくわかります。

土坑の中から広形銅矛が出土しています。

弥生時代には、青銅祭器がこのような形で埋納されたのでしょう。

その意味で、重要な遺跡だと言えます。

 

 

こんな展示もありました。縄文人と弥生人の比較です。

 

貝 立岩遺跡(飯塚市)

飯塚市歴史資料館では、立岩遺跡の出土品を見ました。

立岩遺跡では、40ほどの甕棺墓が見つかっています。

九州というと、甕棺と思いがちですが、同じ九州でも遠賀川より東では、甕棺はみつかっていないそうです。

中には、前漢鏡 などを副葬している甕棺もあって、伊都国や奴国に匹敵するような有力な国の存在をうかがわせます。

 

午後からは、朝倉市の平塚川添遺跡  吉野ケ里遺跡を訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツケース 2月22日(金)

 

20日から21日にかけて、下関・北九州へ行くツアーに参加しました。

この地方に残る弥生時代の遺跡を見る旅です。

 

新幹線で、新山口へ。そこからはずっと、バス移動です。

 

貝殻 土井ケ浜遺跡(下関市)

昼食のあと、さっそく、土井ケ浜遺跡に行きました。

今回、このツアーに参加したのは、土井ケ浜が含まれていたからです。

土井ケ浜は、最寄りの電車の駅から自力で行くには不便そう。

おまけに、300体もの弥生人の人骨が出土したところですから、せっかく博物館に着いても、

他に人気がなく森閑としていたらこわくておちおち見学どころではないのでは、と思いました。

人のいない博物館にひとりで行って、こわいなと思うことはたびたびあります。

その点、今回は30人近くの人と一緒でしたからね、多少骸骨を見せられても心強い。

が、展示している人骨は、すべてレプリカとのことでした。

ほっとしました。

 

 

土井ケ浜遺跡は、響灘に面する砂丘上の墓地の遺跡です。

時代は、弥生時代前期中葉から中期後半ごろまで。

人骨は、仰臥、肘や膝を曲げた状態で葬られています。

また頭を海方向に向けている人骨が多いそうです。

海を越えて、遠く朝鮮半島や中国から渡ってきた人たちだったのでしょうか。

ふるさとを望む形で埋葬されたい、この人たちの願いだったのかもしれません。

確かに、土井ケ浜に眠る人たちには身体的な特徴があり、面長で扁平な顔立ちに加え、

身長も縄文時代の人たちに比べると高いそうです。

渡来系弥生人の特徴というふうに捉えられています。

 

特徴のある人骨としては、鳥の骨を抱いた女性の人骨や、

サメの歯で作った鏃が14本も打ち込まれた凄惨な遺体があります。

他には、これほど激しく受傷している人骨は見当たらないため、

この人は戦争で亡くなったのではなく、祭祀など何らかの儀式の中で殺された?

あるいは、亡くなってから傷つけられたのでは、と考えられています。

 

縄文時代の人骨は、貝塚に含まれる炭酸カルシュウムのおかげで比較的見つかることが多いそうです。

弥生時代の人骨は、埋葬する場所の変化によって分解されてしまい残ることが少ないとのこと。

そういう意味で、この土井ケ浜に残る人骨は貴重な存在と言えます。

わたしたちは、どこから来たのか?

今のわたしたちと縄文時代の人々をつなぐ鍵となってくれそうです。

 

 

博物館の庭に作られたゴボウフラのモニュメント。

この貝から腕輪が作られました。

 

オカリナ 綾羅木郷遺跡(下関市川中平野)

1000基以上の地下の貯蔵穴が見つかっています。

時代は、弥生前期前半から中期前半にかけて。

土井ケ浜よりも少し早い遺跡です。

炭化米や石包丁、朝鮮系無文土器、土笛などが出土しています。

特に土笛はここで初めて出土したそうです。

 

 

 

貯蔵穴の模型です。深さ3メートルにも及ぶ貯蔵穴もあるそうです。

 

鏡 梶栗浜遺跡

綾羅木郷遺跡の台地下にある墓地です。

銅剣2本と多鈕細文鏡が出土しています。

土井ケ浜と同時期の墓地ですが、青銅器の所有などから見て、こちらのほうが有力集団の可能性があるそうです。

 

baby 城野遺跡(北九州市小倉南区)

下関から橋を渡って北九州市に入ってきました。

 

 

 

北九州の埋蔵文化センターでは、城野遺跡に残る大型の方形周溝墓の展示を見ました。

 

 

この周溝墓の中には、二基の小型の石棺があります。

手前の少し大きい方の石棺には頭骨が残っていて、調べると4,5歳の幼児だったことがわかりました。

もう一つの石棺はそれよりも小さいため、もっと幼い子どもだったと思われます。

石棺の内部には大量の水銀朱があり、とても丁重に埋葬されています。

きっと、この地方の有力者の子どもだったのでしよう。

 

                                             つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティーポット 2月7日(木)

 

森下典子著 『日日是好日』 を読みました。

 

 

著者は、大学生のとき、ほんの軽い気持ちでお茶のお稽古に通い始めます。

先生は、近くに住む武田のおばさん。

最初は、お茶なんて形式ばっかり、嫁入り前の単なる花嫁修業に過ぎないなんて思いながら、

それでも、毎週土曜日、お稽古に通い続けます。

そのうち、お茶は単なるお行儀作法から、しだいに著者の人生と深く関わるようになっていきます。

哲学 ―  利休ならそんなことばは好まないかもしれませんが、

お茶は著者にときには人生の指針を与え、またときには慰めを与えてくれるようになります。

 

わたしも、中学生のころお茶を習っていました。

受験期を迎え、しだいに遠ざかるようになってしまいましたが、そのまま続けていれば、どうだったでしょうか。

今は、中国茶を習っています。

日本のお茶は、茶道といわれるように道であり、中国のお茶は茶芸といわれるように芸だと思っていました。

でも、今教えていただいている中国茶の先生からは、やはり、中国茶の世界も道なのだと感じます。

 

「今を生きる」

この本の中で、改めてわたしが大事にしたいなと思ったことばです。

過ぎ去ったことをくよくよ悔やまない、そして、まだ来ぬ先のことをああだこうだと悩まない。

今のこの瞬間に集中して、大切に生きなさい。

そういう意味だと、わたしは、解釈しています。

 

最後に、「ひびこれこうじつ」だと、ず~っと思ってました。

「にちにちこれこうじつ」って、読むんですね。

はずかしい。年ばかり無駄に重ねて知らないことが多すぎます。

 

 

 

 

イラッ 1月28日(月)

 

この10日ほど、わたしは風邪。

熱はないのですが、せきがひどくて、夜も眠れない日が続いています。

一旦風邪をひくと、わたしの場合はいつもせきが長引いてしまいます。

 

オットットさんは、少し前に家の中で転んで肩を骨折。

今は、右腕が使えない状態です。

二人そろって、情けない毎日です。

活動のレベルが落ちています。

この一週間、どこに出かけることもせずに、家の中でぶらぶら無為なときを過ごしてしまいました。

今年こそ、攻めの姿勢で頑張ろうと思っていたのに、のっけからつまづいています。

ストレスがたまる一方です。

 

明日は、中国語のレッスン。

これをきっかけに、生活を立て直していきたいです。

オットットさんにも、ひとりで留守番することに慣れていってもらわないと……。

 

 

 

 

羽根 1月3日(木)

 

日々の小さなことがらをひとつひとつ大切にしながら、くらしていきたい。

今年の目標です。

 

自分や家族のくらしの環境を快適に整えること、できるだけ自分の足で歩いて自然を感じること、健康に留意すること、

ハングルや中国語の勉強、ブラインドタッチやエクセルをマスターすること、本を読むこと、歴史の勉強、そして、創作。

毎日少しずつでもいいから努力して、その中で達成感を得ることができたらいいな。

毎日とは言えませんが、できるだけブログも更新していきたい。

日々、こつこつ努力していくこと。今までの人生の中で一番欠けていたことかもしれません。

この歳になってですが過ぎ越しかたを振り返って、今年はがんばりたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

鏡餅 1月1日(火)

 

あけましておめでとうございます。

 

またまた、久々の更新になってしまいました。

こんな生ぬるいブログですが、細々とでも続けていきたいと思っています。

よろしければ、今年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

元旦早々、早朝、ショコラからビデオ電話。

東京在住のショコラ一家は、今夜から大阪に来る予定でしたが、お姫たんの体調が悪くて来れなくなってしまいました。

胃腸炎のようですが、幸い体調は回復に向かっているとのこと。

ひと安心です。朝から電話の向こうのお姫たんの笑顔を見ながら、ひとしきり「かわいいね」を連発。

祖母バカもいい加減にしなくては…… ですね。

 

昼から、枚方の百済寺に行きました。

往復に要した時間が、約4時間。

しかも、お寺の建物は何も残っていなくて、礎石が残っているだけです。

それでも、昨年3月に枚方市民会館であった歴史フォーラム「百済王氏とその時代」に参加して以来、

ずっと、行きたいと思っていた場所にやっと行きつけました。

 

 

伽藍配置は、南門があり、更にその奥に中門があります。

中門からは、東西に回廊が伸びていてその回廊は東西二つの塔を包摂するように奥の金堂につながります。

新羅慶州の感音寺の伽藍配置に似ているそうです。

そう言えば、感恩寺、昨年11月に行きました。

感恩寺の写真をアップしようと思ったら、写真のサイズが大きすぎて取り込めませんでした。

残念!

 

百済寺は、百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)が建立したといわれているお寺です。

敬福は、百済の王族で元をたどれば百済滅亡時の王義慈王にたどりつき、日本の天皇に仕えました。

 

百済寺という名のお寺は、枚方以外にもあります。

有名なのは、滋賀県東近江市の百済寺です。

こちらは、ひゃくさいじと呼ぶようです。

 

跡地公園の隣には、百済神社がありました。

こちらは、初もうで客でいっぱいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月31日(金)

 

明日から9月。夏も終わりです。

とは言うものの、暑さはなかなか和らいではくれないようですが……

 

それにしても、忙しい8月でした。

娘たちが子連れで帰省して、月の半分ほどは子守りに明け暮れていた記憶しかありません。

娘たちにとっては日常茶飯事。何でもないことかもしれませんが、ばあばにとっては、子守りは一大事。

我ながら歳を取ったなあと思い、おたおたしながら、鈍くさい子守りをしておりました。

 

その夏休みも終わり、やっと平穏な日常がもどってきました。

しばらくは、自分のために時間を費やしたいと思います。

8月20日(月)

 

先週の金曜日から、東京のショコラのところに行っていました。

金曜日は医院、今日は仕事のためにショコラが家を留守にしました。

わたしは、その間の4か月になるお姫たんの子守要員です。

 

4か月ともなると、しだいに表情が出てきてかわいくなってきています。

ときには、「きゃっきゃっ」と声をあげて笑ってくれることも……

初めての女の子の孫。うふふ、かわいいですね。

ばあばバカ丸出しですね。お許しください。

 

せっかくなので、土日はお休みをいただいて歴史のお勉強に充てました。

 

 

18日は、東京博物館に行きました。

写真は、新沢千塚126号墳からの出土品です。

新沢千塚は奈良県橿原市にある古墳ですが、その出土品が豊かな国際性を持っていることで、有名です。

 

 

垂飾付き耳飾り。

上の短い方は、滋賀県高島の鴨稲荷古墳からの出土品(6世紀)です。

下が、新沢千塚の出土品(5世紀)。

新羅の影響を受けているらしいです。

 

とにかく、今回は、新沢千塚のこの出土品が見られたらいい、ぐらいの気持ちで行ったのですが、

他にもお宝がいっぱいでした。

 

 

江田船山古墳出土の素環鏡板付き轡と、輪鐙。

 

 

こちらはF字型鏡板付き轡です。

 

今月の勉強会で、馬具のお話をうかがったのですが、この轡のタイプの名称がいまひとつわかりませんでした。

でも、この写真を比較すると、何となくわかる気がします。

 

それにしても、東博はほんとにいいものを持ってはりますね。

地方から巻き上げていかれたということでしょうか?

 

19日は、「さきたま古墳公園」に行きました。

稲荷山古墳のあるところです。

 

高崎線で約1時間。吹上からバスで10分ちょっと。バス停から徒歩で20分程度。

車で行くならそうでもありませんが、公共交通機関を使って行くのは、結構めんどくさい。

でも、思い切って行って良かったです。

暑さも少しはやわらぎ、しのぎやすい一日でした。

まさに古墳びよりでした。

 

 

 

金で象嵌された鉄剣が出土した稲荷山古墳。

登れます。

 

 

丸墓山古墳。

こちらも登ることができます。

さきたま古墳で登れるのは、この二基のみです。

 

金で象嵌された銘文のある稲荷山鉄剣。

博物館で見ることができます。

 

花火 

長い間、ブログを更新せずに申し訳ありませんでした。

これからも、細々と続けていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティーポット 2月21日(水)

 

中国茶の日でした。

 

今日は、チベットの人たちが飲んでいるお茶をご紹介していただきました。

といっても、チベットではお茶は栽培されていません。

標高が高く、栽培の北限を超えているからです。

チベットの人たちが飲んでいるお茶は、お隣の四川省 雅安で作られています。

チベットの中国語表記「西蔵」から取って、「蔵茶」と呼ばれています。

菌類発酵の黒茶です。

 

自然条件の厳しいチベット高原に住む人々にとって、お茶は必需品です。

脂肪分解やビタミン補給に役立ち、人体に有益な有機化合物や鉱物質を多く含むお茶は、

チベットの人々にとっては、単なる嗜好品ではなく、生命の綱のようなものらしいです。

今日は、そういう野性味あふれるお茶を教えていただきました。

 

 

まずは、ウエルカムティー。

先生が手にしていらっしゃるのが、黒糖磚。

この黒糖の中には、乾燥した竜眼と棗が入っています。

お湯を注いでいただきました。一気に、非日常の世界へ。

 

蔵茶の等級は、6級12等に分別されています。3級以上が高級茶です。

ただし、そこに経年発酵させたヴィンテージ物のお茶が加わると、一概に等級は評価できません。

そして、等級の高いお茶が、必ずしも体に良いものとは言えません。

現地の人々が飲んでいる茎のたくさん混じった等級の低いお茶が、実は繊維質が豊富で生命力にあふれているのです。

また、一方で、上海や香港のお金持ちが、古美術のように磚茶を額に入れて飾ったり、

等級や価格の高さを誇ったりするのも、黒茶の世界だそうです。

中国では、今、黒茶やヴィンテージ ブームなのですね。

 

今日の蔵茶は、2種類。

 

お茶 ひとつめは、蔵金福磚 緊圧茶  2010年物。

 

等級は4級です。蔵茶は、5年目から値が上がり始め、1年経過するごとに3割増しだそうです。

ずいぶん、はっきりしているんですね。

 

 

このお茶は、写真手前の竹の容器の中に入っていました。

奥の高坏の上にあるのが、中から取り出した蔵金福磚です。

 

 

このようないつらいで淹れていただきました。

 

お茶 ふたつめのお茶は、原葉瓢香 散茶

 

こちらの等級は3級です。2016年に作られたものです。

 

 

炉で少し煮だしていただきました。

 

 

今日は、水餃子。豆乳スープです。

そういえば、春節中ですね。

 

お稽古のあと、お稽古仲間の方のお宅に寄せていただきました。

 

春節らしい飾り付けをきちっとされていて、居心地のよいお住まいでした。

一緒にお邪魔したお友だちと、お茶会のことや、バッグ、器、螺鈿や蒔絵のことなどの話題で

盛り上がって、話題に加われないわたしは、さすがにコンプレックスを感じました。

 

「女子力」  わたしには、完璧にこれが不足しているようです。

振り返ってみるに、はずかしいほど雑に生きてきたなあ、という気がします。

今からでも遅くない! 少しは、「女子力」を磨きたいと思います。

もう少し丁寧にね。日々の暮らしを大切にしましょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョコ 2月14日(水)

 

昨日は、のんの家に行きました。

バレンタインデーには一日早いですが、三人の孫(ぽにょ太・ぴょこ太・ごにょ太)に

チョコレートのプレゼント。

 

 

孫たちは、別にパンダ好きでもないのですが、お気に入りのウルトラマンや何とかレンジャーのチョコが見つからず、

これにしました。

今年は、香香のおかげで、パンダチョコが結構人気だったみたいです。

 

ばあばからもらうチョコなんて、微妙かなと思っていましたが、

ぽにょ太もぴょこ太もすごく喜んでくれました。

やっぱり、男の子は相手が誰であっても、チョコもらうと嬉しいんですね。

まあ、将棋の藤井五段さんレベルになると、大量のチョコ、どうしはるんやろとちょっと心配になりますが……

今後、少なくとも数年は、ばあばのバレンタインボランティアは続きそうです。

 

今日は、京都新聞の文化センターに行きました。

「朝鮮古代史」のお勉強です。

こちらは、チョコの応酬はなかったようです。(わたしの見る限りですが)