コスモス 9月29日(火)

 

朝晩はめっきり涼しくなりました。

過ごしやすい季節になりつつあります。

 

 

朝のウォーキング。

今日はがんばりました。

 

でも、なんででしょうね。

全く変化がありません。

不思議でしようがないくらい、敵は頑固です。

体重の話です。

 

 

9月27日(日)

 

やっと、涼しくなってきました。

朝のウォーキングも、少し歩きやすくなってきました。

なのに、最近、逆にさぼることが多くなっています。

 

朝、起きれないんです。

何だか、気持ちよくってつい寝過ごしてしまうことが増えました。

別に朝行けなくても、涼しいんだから昼間に歩こうと思い、ついそのままずるずると

おさぼりになってしまう傾向が……

 

だめですね。

真夏の日々は、あんなに暑くても頑張っていたのに。

 

今朝は、ひさしぶりに頑張りました。

数日歩かなかったせいか、体が重い。

まあ、今日に限らず体はいつも重いのですがね。

 

また、がんばりましょう。

 

 

朝の散歩コースの途中にある野々井遺跡。

弥生時代から5世紀にかけて、ここには、須恵器の生産に関わった人々が

住んでいたと考えられます。

泉北地域は、当時、須恵器の大生産地でした。

 

 

泉北は、山を切り開いて造成されたニュータウンなので、付近には、

田畑も緑もまだまだ残っています。

京都での生活も楽しかったですが、泉北に帰ってみれば、

それはそれで、落ち着いた生活が送れている気がします。

特に、このコロナ禍の時期、ここに帰ってきていて良かったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶどう 9月23日(火)

 

昨日は、東京で渤海史の勉強会がありました。

せっかく東京まで来たので、もう一泊して、東村山市にある下宅部遺跡まで

足を伸ばしました。

 

今春のちょうどコロナが流行り始めたころでしょうか。

そのころ、縄文時代に漆を使った文化があると教えていただきました。

それまでのわたしの中では漆と縄文時代とは全く結びつきませんでした。

漆器というと、高級、高度な技術、保管が難しそうというイメージがあったからです。

まさか、縄文時代の人が、と驚きました。

幾つになっても、学びというのは、新鮮な驚きを与えてくれるものですね。

 

中でも、下宅部遺跡は、漆文化の最も古い遺跡のひとつです。

一度訪れてみたいと思いながら、コロナ禍のせいで、来ることができませんでした。

やっと、念願が叶ったという感じです。

 

 

東村山市、こんなことを言ってはなんですが、結構都会でした。

 

 

遺跡は大部分地下に保存され、遺跡公園となっています。

 

 

 

 

 

 

下宅部遺跡の出土品は、東村山市八国山たいけんの里の

収蔵展示室で見ることができました。

 

 

帰り、少し時間があったので、国分寺に寄りました。

とはいうものの、たっぷり時間があったわけではないので、駆け足でした。

次回、ゆっくり来てみたいと思わせてくれる場所でした。

国分寺駅から十数分のところです。

上の写真は、国分寺楼門です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月2日(水)

 

毎朝、ウォーキングをしていると、季節のちょっとした変化や

けっして毎日毎日同じではない自分の体調に敏感になってきたように思います。

 

昨日の朝は、ずいぶん涼しくなってきたように感じました。

湿度もそんなに高くないさわやかな印象でした。

秋が近くなったように感じて、歩きやすいと思ったのですが、

台風が近づいているせいかもしれません。

夕方は、ゲリラ豪雨。三時間ほど続きました。

雷も鳴っていて、ちょっとこわいと思いました。

 

今朝は、湿度が高くて汗がだらだら。

歩いていても、疲れ気味で少し早めに切り上げました。

昼過ぎから、ひどい雨でした。

 

 

最近お気に入りの散歩コースです。

緑道に距離の目盛りが付いていて、何メートル歩いたかがわかるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

8月27日(木)

 

プチ旅行 二日目。

午前中は石山寺、午後からは鬼室神社に連れて行っていただきました。

 

 

京阪電車の石山寺で下車。

 

すぐそばを瀬田川が流れています。

 

 

瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川です。

宇治川、淀川と名前を変えて、大阪湾に流れ込みます。

 

 

参道を歩いて、東大門へ。

 

 

寺名の由来となっている硅灰岩。天然記念物だそうです。

 

 

階段を上がったところが、本堂です。

 

 

石山寺は、紫式部がここに参篭して源氏物語を執筆した寺としても有名です。

石山寺のホームページによれば、琵琶湖の湖面に映える十五夜の月を眺めて

須磨の地に流される光源氏の着想を得たそうです。

 

10代から40代のころまで、わたしはこの物語が大好きで、

いろいろな作家の翻訳を夢中で読みました。

(原文では読んだことないです)

光源氏という主人公そのものには魅力を感じませんが、

彼というフィルターを通して描かれる女性たちの苦悩や悲しみ、または喜び

といった心理描写の凄さには感動を覚えます。

日ごろ宮中の奥深くにいて、自由に動き回ることも多くの人と交流することも

できなかったはずなのに、この人間観察の鋭さ、奥深さは何だろうと思います。

 

 

多宝塔。国宝です。

多宝塔って、なんだろうと思ってました。

調べると平面が方形の初層、平面が円形の上層を重ね、四角錐の屋根を有する

二層塔婆のことなんだそうです。

なるほど……

その通りの形をしています。

 

 

お昼は、駅にもどる途中の「すみ蔵」さんでお蕎麦をいただきました。

 

 

店内のインテリアもちょっと民芸風ですてき。

感染対策もばっちりで、清潔感のあるいいお店でした。

もちろん、お蕎麦もおいしかったです。

同行の若いおふたりにとっては、量が少なかったみたいです。

 

昼からは、鬼室神社へ行きました。

JR近江八幡駅からバスに乗ります。

一時間弱、幅野町という停留所で降りると、地元のお知り合いの方が

車で迎えに来てくださっていました。

 

 

 

大津に都があったころ、百済からの渡来人で役人であった

鬼室集斯の名前が刻まれた墓碑が見つかったことから

この社名がつけられました。

 

この後、野田道遺跡と石塔寺にも車で連れて行ってくださり、

帰りは、近江八幡駅まで送ってくださいました。

とてもではないですが、車がなければ行けませんでした。

ありがとうございました。ほんとうに感謝です。

 

 

 

野田道遺跡からは、オンドルの遺構が見つかっています。

今は、畑になっていますが、もともとは

圃場整備の発掘で見つかったそうです。

 

 

石塔寺(いしどうじ)。

なが~い階段を昇りきったところに、この塔があります。

しんどかったです。途中息切れして何度か止まってしまった。

 

実は、このお寺に着いたのが、閉門になる5時の5分前でした。

階段下には、すでに鎖がかけられ、お寺の方はだいぶ渋ってられたのですが、

お知り合いの方が頼んでくださって入れてもらいました。

 

昨日も今日も収穫の多いプチ旅行でした。

 

夜は京都泊。

京都駅近くの「倉蔵」で、一杯。

ここもお魚のおいしいいいお店でした。

予約はなかなか取りにくいそうですが、機会があったら、オットットさんとも

来てみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月26日(水)

 

コロナのせいで、なかなか遠出はできません。

その代わり近隣への小旅行をするようになりました。

今まで気づきませんでしたが、近くにも見どころはいっぱいありますね。

自分の足元を見直すいい機会になっているかと思います。

 

今回は、比叡山延暦寺へ行きました。

健脚のおふたりとご一緒です。

自粛が始まった3月末ぐらいから、なるべく歩くようにしたり

きくち体操をしたりして運動不足にならないよう

自分なりにがんばっているつもりでしたが、

おふたりに着いて行くのはたいへんでした。

「もっと、ちゃんと運動しないと」って、言われちゃいました。トホホ。

運動してないわけやないんやけどね……

 

 

出町柳から叡山電鉄で八瀬比叡山口まで。

ケーブル、ロープウェイと乗り継いで、比叡山頂まで行きました。

 

 

 

バスには乗せてもらえず、舗装路から山道へ入りました。

大比叡。ここがほんとうのてっぺんだそうです。

 

 

延暦寺へ行く途中、智證證大師円珍の廟に寄りました。

円珍は、延暦寺第5世の座主です。

 

少し山道を歩いて、延暦寺東塔地区まで下りました。

 

上の写真は、法華総持院東塔です。

下は、阿弥陀堂です。

 

 

休憩所でお昼をいただいた後、前唐院へ行きました。

 

 

前唐院は、第3世座主であった円仁が住まいにしていたところです。

円仁も円珍も唐に渡っていますが、円仁のほうが先に唐に行っているので、

その住まいを前唐院、円珍はその後に行っているので、

その住まいを後唐院と呼んでいるそうです。

 

この後、西塔地区に向かいました。

橋を渡ったところに、山王院があります。

 

 

ここが、円珍が住まいにしていたところです。

山王院、別名を後唐院といいます。

 

更に進んで行くと、浄土院に着きます。

ここは、延暦寺の開祖最澄の廟です。

 

 

 

更に西塔地区を歩いて行くと、

にない堂、釈迦堂に着きました。

 

 

にない堂の左の建物は、法華堂です。

写真には写っていませんが、右には常行堂という建物があり、

そのふたつの建物を渡り廊下がつないでいます。

廊下がまるで、にない棒のような役目を果たしているようなので、

にない堂と呼ばれているようです。

 

 

上の写真は、釈迦堂です。

 

ここから、東塔地区にもどりました。

最後の訪問場所は、円仁の御廟です。

 

 

急な坂道をずんずん下って行った先に、御廟はありました。

帰りは、この坂を上がって帰るんだと思うと、それも憂鬱でしたが、

坂自体を下りるのも一苦労でした。膝に堪えました。

同行者は、ここを走って下りてました。考えられません。

 

やっとたどり着きました。

慈覚大師円仁の御廟です。

 

 

 

数年前、別の友人とこの墓を探して来たことがあるのですが、

バスの時間が気になって(というか、あの坂を時間内に登る自信が無くて)

途中であきらめました。

そういう意味では、念願の御廟なんです。

来てみれば、もうちょっとのところだったのですがね。

惜しかったです。

 

 

帰りは、ケーブルで坂本まで下りました。

 

 

一泊目は、大津駅前のホテルに泊まりました。

 

 

近いということもあり、比叡山には子どものころから何度か来たことがあるのですが、

そのたびに根本中堂だけ見て、見学終了のような気分になっていました。

今回は、丁寧に見学することができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月24日(月)

 

朝のウォーキング。今日で、18日目。

三日坊主にならずに何とか続いています。

おかげで、少しハイになってきました。

さぼると、何となく気持ち悪いんじゃないかと思います。

 

5時半前後に家を出て、帰宅は7時ごろ。

そう、毎日一時間半程度は歩いています。

10000歩は、越えますね。

以前は毎日、10000歩けと言われていましたが、ほんとは7000歩から8000歩ぐらいが

身体にはいいらしいです。10000歩はやりすぎ。

ふだん運動しなかった人が急に頑張りすぎると却って身体を傷めることがあるのだとか。

でも、何だかやめられない。

10000歩未満だと、負けた気分になってしまいます。

 

 

昨日と一昨日のゲリラ豪雨のせいか、暑さはほんの少しましだった気がします。

勿論、まだまだまだまだ暑いですよ。

 

 

でも、どことなく秋の気配がしだしました。

どこに気配を感じるんでしょう。そう、蝉の声かもしれません。

そうかもしれませんが、わたしは、光に秋の気配を感じます。

オレンジ色の光。

 

 

 

 

 

 

8月14日(金)

 

柏原市にある高井田山古墳に行きました。

JR大和路線「高井田」駅から、歩いてすぐ5分くらいのところにあります。

 

 

 

周りは住宅地のはずなのですが、この古墳の一角だけ妙に静かな雰囲気。

おまけに猛暑のせいで、わたし以外他に人が見えません。

 

 

こんなお墓やあんなお墓(横穴墓)がたくさんあって、調査されているだけでも、

162基あるそうです。

お墓、苦手なんです。

後から写真で振り返ってみると、あんまり不気味さが伝わってこないと思いますが、

ちょっと、背中がぞわっとしました。

ひとりで来るんじゃなかったとちょっと後悔。

 

 

それでも、がんばって、何とか歴史資料館に到着。

 

 

高井田山古墳は、この高井田横穴公園の一番高いところにあります。

5世紀後半の築造だと考えられています。

公園にある他の横穴墓は、6世紀半ばから7世紀初めの約50年の間に

作られたもので、高井田山古墳とは時代が少しずれています。

 

上の写真は、東棺から出土した火熨斗です。

この火熨斗や下の写真にあるガラス玉のネックレスは朝鮮半島から

伝わったものだとされています。

 

 

資料館を出て、高井田山古墳をめざします。

 

 

玄室側から見たところです。こちら側が北。

羨道は玄室から見て左側に寄っています。

棺は二基あります。

玄室入口には、須恵器が置かれていました。

この当時、日本には土器や須恵器を墓に副葬する習慣がなく、

このこともこの古墳が朝鮮半島の影響を色濃く受けている証です。

 

 

上の写真は、羨道側から見たところです。

西棺のそばには冑が置かれていました。

東棺の頭部近くからは、火熨斗や鏡が出土しています。

 

副葬品から見て、このおふたりは男女だったのでしょうね。

おそらくは、夫婦。

このように夫婦を合葬するのは、中国や朝鮮半島の習慣であって、

日本にはないものだそうです。

 

とにかく、暑い日でした。

こんな暑い日に外に出るのもと少しためらいましたが、

思い切って来てよかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月12日(水)

 

朝に散歩をしています。

まだ、6日目ですが……。

 

体重はちっとも変化しないですが、今度こそ少しでも継続するように頑張りたいです。

体にとって、良い事には違いないですものね。

歩かないと、何だかやりのこしたことがあるようで気持ち悪く思ってしまう。

早くその域に達したいです。

今はまだ、歩かない日があっても、大して気持ち悪くはない気がします。

超初心者です。

 

 

朝の空。今日は少し雲が多め。

でも、昼になると、良く晴れて今日も暑い一日でした。

 

 

オシロイバナ。

幼いころ、よく見かけたなつかしい花です。

オシロイバナは、夕方4時ごろに開花して翌日の午前中にはしおれてしまうそうです。

知りませんでした。

 

 

むくげ。文化財調査事務所の入り口そばに咲いていました。

 

 

 

8月4日(火)

 

おそい梅雨がやっと明けたと思うと、今度は猛暑がおそってきました。

とにかく、暑いです。

うかつに外に出ると危険なぐらい。

しかも、ただ暑いだけで、夏がやってきたあ!

というあのきらきらした輝きというかエネルギーが感じられません。

やはり、コロナ禍のせいですね。

毎日新規感染者の数におびえながら、うつうつとした日々を過ごしています。

 

そんな中、今日は久しぶりに外に出ました。

近つ飛鳥博物館で開かれている「堂山一号墳」 の夏季企画展の見学です。

考古学サークルの講師を務めてくださっているF先生のお誘いでした。

チケットまで用意してくださって、ありがたかったです。

 

 

わたしは今回の展示によって、初めて「堂山古墳」の名まえを知りました。

堂山1号墳は、大東市にある5世紀前葉に築造された円墳だそうです。。

ということは、応神陵に比定されている誉田御廟山古墳と同時期の築造。

堂山一号墳の被葬者は、当時この地域に根を張ったヤマト王権に

仕える武人だったのでしょうか。

 

今日は、堂山古墳の企画展だったのですが、

個人的には常設展示にある「船王後の墓誌」(複製)に関心を持ちました。

 

 

この墓誌は江戸時代に出土したと伝えられ、正確な出土地はわかりません。

墓誌には松岳山に埋葬されたとあって、それが、柏原市の松岳山古墳

に比定されたこともあったようですが、どうも時代が違っているようです。

 

船氏は渡来系氏族で、氏族名から推し測っても河川を利用した流通

に関わっていた人たちのようです。

地図を調べてみると、以前から行きたいと思っていた高井田山古墳と

松岳山古墳とは間に大和川をはさんで、近いようです。

王後とは関係ないかもしれませんが、

これは、きっと、何かある!近々行ってみようと思います。

 

 

コートのボタンぐらいの大きさの鏡。

これをよく鏡だと見抜きましたね。

 

我が家と博物館は距離的にはさほど遠くないのですが、

電車だと回って行かなくてはなりません。

今日は、幸い往復とも送って下さる方がいて助かりました。

非情感謝!