朝鮮時代日本人だけが居住していた南浦洞 | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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2024年1月 無計画で飛び立った釜山ひとり旅

 

2日目

朝鮮通信使歴史館を後にして南浦洞にやってきました

 

 

メインストリートにはこじゃれたお店がたくさん並んでいるし 裏道にもお店がたっくさん

最近はよっぽどでないと買い物しなくなっちゃった ^^;

 

 

 

そんなショッピング街の一角にある大覚寺 (2018年撮影)

 

 

 

あっ 大覚寺の裏側ってこうなってたんだ! 釜山タワーまで見えるぅ

 

 

 

 

朝鮮時代 釜山にはいわゆる日本人街である倭館がいくつかありましたが ここ南浦洞にも草梁(チョリャン)倭館がありました 

(倭館は建物ではなく日本人のみが居留する地域)

 

 

光復路にある案内板

 

 

 

 

日本人街だった倭館には特別な公務以外 朝鮮人は入れませんでしたがお互いコソコソ会っていたと書いてあります  ^^;

次第に密貿易が増えていったため 日本と朝鮮は取り締まりのための約条を結ぶのですがこれが日本人だろうが朝鮮人だろうが結構厳しい内容なんだから!!

 

 

 

 

 

 

江戸時代 日本は鎖国していましたが長崎出島と釜山の倭館では異国と接しました

1678年から約200年間 朝鮮との外交と貿易の中心だったチョリャン倭館では両国の立場も対等だったようです

 

 

 

ここはその昔 日本人街だったんですね…

チョリャン倭館があった南浦洞でした

 

왜관은 조선시대에 일본인이 거주하던 마을로 조선과 무역을 하던 곳이다 

 

 

 

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