イングリッド・バーグマン ~愛に生きた女優~ | Untitled

 

イングリッド・バーグマン ~愛に生きた女優~(’15)スウェーデン

監督:スティーグ・ビョークマン

 

 

グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリヒ、ヴィヴィアン・リー・・・・・

 

いや、イングリッド・バーグマンビックリマーク

 

2015年の生誕100周年を記念し、娘のイザべラ・ロッセリーニが

制作を依頼したことから実現したドキュメンタリー。

 

“バーグマン愛”が、さらに深まってしまった・・・・ぽっ

 

 

父親の影響でカメラ好きだったバーグマンが肌身離さず

持ち歩いていたカメラでいつも何かしら撮影していていて

三度の結婚の度に生活が一変しただろうに

バーグマンの中には“断捨離”というものがなかったらしく

写真や16ミリフィルム、日記や手紙を大事に保管されていました。

 

生誕100周年記念にふさわしく、お宝写真やプライベート映像が

次から次へと披露されます。また、赤裸々に綴られた

日記や手紙を、同じ スウェーデンスウェーデン出身の女優

アリシア・ヴィキャンデルによって語られるんですけど

彼女の抑制の効いた声が、これがまたいいんですよ~

また声の出演があったら観てみたいですっ!(またそんな言い方して~)

 

私の後悔することは、しなかったことであり

できなかったことではない  イングリッド・バーグマン

私の知らなったバーグマンの事実が、2つほどありました。

1つは、母国スウェーデンからハリウッドへ進出した時(24歳)

すでに子どもがいて、夫と子どもを残して単身赴任のような形で

アメリカへ渡っていたこと(後に、2人をアメリカへ呼び寄せる)

もう1つは、あの一大スキャンダルを起こす前に

戦場カメラマンのロバート・キャパと恋に落ちていたこと。

この男性がバーグマンに宛てた手紙に、こんな言葉があった。

成功は失敗よりも危険で、人間を堕落させるから・・・

この時、バーグマンは夫と子どもを捨てイタリアに渡り

世界中を敵に回すことになるとは思いもしなかったでしょう。

 

 

イングリッド・バーグマンを語るとき、ロベルト・ロッセリーニとの

一大スキャンダルを“黒歴史”として見るのは、ちょっと違うと思います。

“悪女”“娼婦”呼ばわりされても、それも全部含めて

イングリッド・バーグマンなのだから・・・・・

 

エド・サリヴァンが自身の番組(エド・サリヴァン・ショー)

「彼女は7年半もの間、罰を受けました」

罰を受けた・・・? 何、言ってんの?このオッサン(笑)

 

『無防備都市』を観て雷に打たれ、『戦火のかなた』で確信に変わり

ロッセリーニに宛てた、あまりに有名な手紙

“Ti Amo”しかイタリア語を知らないスウェーデン女優が

必要な時には、いつでも呼んでください・・・・

バーグマンは女優として、映画人として、本能の赴くまま行動したんです。

あのイングリッド・バーグマンにラブ・コールされて飛んで来られたら

ロッセリーニでなくても、男だったら誰でもオチるって(笑)


 

映画の中でバーグマンの肉声でも語られていましたが

スキャンダルのせいで頭から酷評された『ストロンボリ』

バーグマンが“ネオ・レアリズモ”を体現した傑作です。

 

『イタリア旅行』では、ジャン=リュック・ゴダール

「1台の車と、男と女がいれば映画が出来る」

と言わしめ、『勝手にしやがれ』が生まれることとなる。

 

本人役で出演した『われら女性』で、ニワトリを追いかけまわす姿は

この映画のプライベート映像とおんなじ表情を見せてます。

 

そして、バーグマンが“狂人”を通り越して“聖人”となった

『ヨーロッパ一九五一年』

 

 

確かに、ハリウッド時代のバーグマンは死ぬほど美しいです。

『カサブランカ』なんか、何十回観たかわかりません。

ただ、美しく着飾られ、完璧な角度の照明で照らされたバーグマンでなく

“人間”イングリッド・バーグマンを、内に秘めた彼女の素顔を

ロッセリーニとの7年半で見せたのではないでしょうか(エド・サリヴァン表出ろ~!)

 

そして、その最終到達点が、バーグマン最後の映画となった

ベルイマンの『秋のソナタ』ではないかと・・・・・・

 

こんな感じで書くつもりはなかったんですけど

エド・サリヴァンの一言で完全にスイッチが入ってしまった(笑)

 

 

 

 

彼女を輝かせたのは、賞でも名声でもなく「自分らしく生きる」こと。 

オスカーを3度獲得した世界最高の女優、イングリット・バーグマンのドキュメンタリー 。