消灯時間になっても、手術当日の患者は戻りません。

ナースステーションのすぐ前(はっきり言って廊下にカーテンのみ)か、

同じく隣の2人部屋で過ごすことになります。

ということは、夜中も話し続けている向いのベッドは、

きれいにベッドメイキングされた別のベッドに変えられていました。


ようやくウトウトし始めた頃、

カンカンカン……

ベッドの柵を叩く音が響き始めました。

えっ! もしかして△△さん!

そう、カーテンで仕切られた廊下にベッドが置かれていたので、

話し声は聞こえませんでしたが、金属の音は響きます。

無事に手術を終えられたんだな、と安心するも、

一晩中鳴り続けた金属音には参りました。

最後の夜も睡眠不足。


そして夜は明け、看護師さんの挨拶と共に起床。

朝食を済ませると、

いつものように、談話室にある手洗いコーナーで歯磨きと洗顔。

6Fの窓から見える空は晴れ渡り、

容赦ない日差しが街並みに照り付けていました。

ここで歯磨きと洗顔をする患者さんは見たことがありません。

でも、せめて一日の始まりと終わりくらいは、

広い窓から外を眺めたい。


病室に戻ると、一緒に検査入院した方が退院の準備を始めていました。

私も時計を見ながらゆっくりと荷物をまとめることにしました。

すると9時少し前、看護師さんが回ってきて、

「総回診がありますから、ベッドにいてください」

と、病室の患者全員に聞こえる声で伝えて行きました。

この日は木曜日。

5年前と変わらず、木曜日の朝が総回診でした。

退院準備をしていた方がキョトンとした顔を私に向け、

「総回診って、テレビでは見たことがあるけど…」

と、尋ねて来ました。

「週に一度、整形外科部長と医師全員(多分)が、

入院患者全員を回診するんです。

あっという間に終わりますよ。」

と、答えると、

「ホントにあるんですね。」

と言って着替えをやめ、落ち着かない様子でした。


ほどなく、早足で整形外科部長を先頭に医師がやってきました。

患者ごとに主治医が説明をして、

整形外科部長が患者の顔(もちろん状態も)と、

カルテを一致させてさせているように感じます。

私の主治医は私のベッドの前に立ち止まったままで、

整形外科部長に一瞬(ホントにあっと言う間)説明し、

「ああ、4番と5番ね。」

と言って去って行きました。

すごいですね、私のこと頭に入ってる!


骨折で入院している患者が多いせいか、

私の主治医が担当している患者は少なそうです。

助教授でもありますから、他の仕事もあるのでしょう。

火曜日は外勤日に変わっていました。

その限られた患者の中にいることは、

ホントに幸せだと思っていますし、

めぐり会わせに感謝をしています。


総回診が終わると私はベッドを下り、

再度帰り支度を始めました。

すると、同じように帰り支度を始めた方が、

「これで終わり?」

と、あっけにとられた顔で尋ねて来ました。

「ええ、いつもこんな感じです。

先頭におられた白髪の多い先生が、有名なS先生です。」

そう答えると、

「えっ!今の中におられたんですか?

気付きませんでした。」

と、少し残念そうでした。

やっぱり有名なんですね。

神の手を持つ医師として紹介され、

その後も何度も取材を受けているほどの先生ですからね。


ダンナさんは9時半頃にやって来ました。

まだ精算が終わっていないので、

そのまま荷造りを手伝ってもらいながら、10時に。

看護師さんから精算の書類の説明を受け、

退院の書類にサインして、左腕に付けられたIDのリングが外されました。



病院の向いにあるスーパーのマルエツにこっそり行く時も、

いかにもパジャマ(部屋着)という服装でも、

このリングがあれば恥ずかしくない、魔法のリング。

一旦さようならです。


全部の荷物をまとめ終わって、

看護師さんに忘れ物のダブルチェックをしてもらい、

病室を出ました。

また2週間ほどで帰ってきますが、

退院のすがすがしさは格別です。


外は照り付ける太陽が、痛いほど肌に刺さってきます。



花壇には夏らしい花が植えられて、スプリンクラーが回っていました。



暑さに負けない、元気なルドベキア。

しっかりと空を見上げています。

また帰って来るよ!

私も病気と手術に負けないよう、

次に来た時も、ルドベキアに元気をもらおう!




主治医を先頭にして、

ダンナさん、息子、私の順番でカンファレンスルームへ。

大きな会議用テーブルの上には腰椎の骨格模型が置かれていました。

そして、ミエログラフィー検査の結果が画面に映し出され、

腰椎を横に切った画像が順に説明されました。


狭窄している場所は1ヶ所と聞かされていましたが、

検査をしてみると、5つある腰椎の3番目から狭くなり、

5番目は通常の1/5 くらいまで潰れていました。

黄色靭帯が厚くなっていることも原因のひとつです。

そしてその5番目の腰椎は【すべり症】と診断されました。

確かに、4番目と5番目の腰椎がずれていました。

残念ながら、思っていたよりも重症。


ただ茫然と画像を見て、説明を聞いている私に対して、

ダンナさんは質問をしたりして、かなり真剣な様子でした。

主治医は5年前と比べて貫禄が増し、

付き合いが長いせいか、ゆったりと構えていました。


手術の方法は、頸椎の時と同様に
脊椎低侵襲手術。

それに加えて、腰椎の4番と5番の間にチタンプレートを入れて固定。

ひとつの骨にしてしまうという方法です。

以前は骨がしっかりと固定するまで、

3ヶ月間ベッドの上から動けなかったそうです。

今では10日ほどで退院が普通。

しかし、退院後3ヶ月は安静が必要で、

手術後の痛みも、頸椎以上だそうです。


現在、自転車での移動が楽なのを思い出し、

主治医に聞いてみると、

「自転車は、以前転倒された患者さんがいまして、

固定した場所がずれてしまったことがあります。

ですから、自転車は3ヶ月はやめてください。」

と、あっさり断られてしまいました。

荷物を持つことができず、自転車もダメってことは、

3ヶ月は買い物に行けないってことになります。

ダンナさんは、

「俺が行くよ!」

と、ためらうことなく言ってくれましたが、

療養中の3ヶ月って、意外に長いですよね。


脊椎以外の検査結果(血液・心電図・肺機能等)は、

スポーツをしている人のように何も問題ないそうで、

6ヶ月後にはスポーツを始めてもいいそうです。


手術の時間は5~6時間。

うつ伏せの状態で肩と腰の4ヶ所に台が固定されるそうです。

いまひとつ想像ができませんが、

意識があるのは手術室に入って数分で、

気が付いた時には手術が終わっているのですから、

まさに【まないたの上の鯉】です。

しかし、5年前にいちばん嫌だったフットポンプは、

翌日に自立できるまで絶対はずせないそうです。

たった一晩でも、死に至る方もおられるということで。


あとは感染症が起きないことを祈るのみ。

5年前は一晩高熱を出した程度で収まりましたが、

MRSA(黄色ブドウ球菌)に感染すると、

手術で埋め込んだプレートを再度取り出し、

洗浄してもとに戻すという事態もあるそうです。

もう、運に任せるしかないですね。


ダンナさんは、私の脊椎が息子に遺伝することを心配し、

脊柱管狭窄症やすべり症の可能性を聞いていました。

それに関しては、男性は脊椎の形が違うので、

すべり症の可能性は心配ないということでした。

骨化症や狭窄症の遺伝についてはコメントなし。

まだ解明されていないことだけに、仕方ないですね。


主治医を信頼していることは、家族3人相違なく、

「よろしくお願いします」

と、頭を下げてカンファレンスは終了。

息子は終始無言で、淡々としていました。

普段から、あまり感情的になる性格ではないですからね。


病室に戻って洗濯物を預け、

翌日の退院時間(午前10時~11時)に合わせて、

ダンナさんに来てもらうようにお願いしました。

すでに夕方を過ぎ、あとは夕食を食べて就寝。

現実味を増した手術と、退院の安心感が複雑に混ざって、

消灯後も寝付けませんでした。


3日目の朝、明け方からやっと眠ったせいか、かなり眠くて、

看護師さんが声を掛けに来ても、頭がボーッとしていました。

「朝になったので、もうひとりで行動してもいいですよ。」

残念なことに、もうひとりで動いてますとは言えず、

「はい、わかりました。」

とだけ答えて、またウトウトしてしまいました。


実は、消灯後にひとりでトイレに行っていました。

病室からナースセンターが見えるので、

廊下とナースセンターを確認して、こっそりトイレへ。

病室に戻っても、そーっと冷蔵庫を開けて飲み物をコップに注ぎ、

喉を潤してからベッドに戻りました。


「朝食でーす」

と、元気な声と同時にカーテンが再び開き、

朝食が置かれました。

普段でさえ朝食をほとんど食べないのに、

ベッドに寝てばかりの状態での朝食は、食欲がありません。

それでも食べなくては。


朝食が済むと間もなく、

「今日、シャワーが使えるんですが、9時半からでいいですか?」

と、看護師さんが確認に来ました。

「はい、大丈夫です。」

「じゃあ、前の方が済んだら声を掛けに来ますね。」

汗をかくことはないにしても、やっぱりシャワーは浴びたい!

急いで着替えとタオル、洗面用具を準備して、

9時半過ぎにシャワーへ。

ドライヤーも借りて、すっきり、さっぱり。


その日は向かいのベッドの認知症の方の手術日。

大腿骨(腰に近い部分)を骨折しておられて、

骨折してもすぐには手術をしないということを、

初めて知りました。


その隣のベッドの、夜中にテレビを点けていた方は、

透析が必要なので、朝食後はベッドごと透析室へ異動。


私の隣の方も1ヶ月ほど前に骨折した方で、

ようやく食事が始まり、

「美味しい」

と、ひと口ずつを噛みしめるように食べていました。


そして、私と同じ検査入院の方は、

2日続く夜の賑やかさで、寝不足になっていました。

出産以外での入院は初めてということで、

こんなものなのかなと思いつつ、かなり参っていました。

次回の手術入院では、個室を希望するそうです。


夕方4時半頃、いきなり主治医がカーテンを開けました。

「こんにちは(=⌒▽⌒=)」

見慣れた顔に、思わず安心。

「昨日の検査でわかったんですが、

狭窄以外にもすべり症もありますね。

手術の方法が変わるので、5~6時間かかります。」

エエーって、もう頭の中は真っ白!

「予定よりも早く時間が空いたので、

ご家族が見えたら、すぐにナースに知らせてください。」

5時から手術の説明がある予定だったので、

「わかりました。」

と、答えたところで、ダンナさんと息子がやってきました。

「あっ、ちょうど来ましたね。じゃあ始めましょうか?」

待つ間もなく、談話室横のカンファレンスルームへ移動。


2日目の朝、カーテンが開いて

「おはようございます」

と、看護師さんが起床の挨拶に来ました。

5年前なら、ここで熱いおしぼりが渡されました。

洗顔に行くのが大変な患者の為なのでしょうが、

親切にも患者全員に配られました。

それだけでもかなり嬉しかったのですが、

今回はなし。

おまけに、検温も血圧測定もなし。

まさに、起床の挨拶だけ。

経費節約なんでしょうね。

それが原因かはわかりませんが、

見覚えのある看護師さんはひとりだけ。

3年前くらいまでは看護師さんにほとんど変わりはなく、

主任看護師さんも、看護師になってすぐから8年ほど、

ずっと整形外科だったと聞きました。

今では配置転換も多いそうです。

どの業界も楽ではないんですね。


話がそれてしまいましたが、2日目は検査当日。

朝食をとった後は、10時過ぎには飲料も禁止。

私の順番は6人中6番目。

午後3時過ぎに検査予定と言われました。


午後2時頃検査着に着替え、点滴開始。

3時頃に車イスで検査室に移動しました。

検査台に乗って横を向き、脊椎に針が刺さります。

わかってはいても、脊椎注射は痛い!

「造影剤が入ります」

と、医師から声が掛けられ、新たな痛みが加わりました。

必死に耐えていると、

「写ってません」

と奥から聞こえ、

「一旦針を抜きますね」

と、非情な言葉が耳にも刺さりました。

そして、脊椎を触って場所を再確認し、

「もう一度刺します」

と、今度は少し下に針が射しこまれました。

徐々に造影剤が注入され、左足に激しいしびれと痛みが走りました。

そのまま痛みに耐えて、2度目は成功しました。


診察台の上で何度か体勢を変え、最後は立って終了。

やっぱり今度も痛かった…



ゆっくり車イスに移動し、次はCTの撮影。

その前に検温と血圧測定があり、

体温35.8度、血圧は148-94。

体温が下がって、血圧は人生で一番の高さ。

低血圧の自分ではないような数値でした。


CTはすぐに終わり、病室に戻って自分の服に着替えると、

ベッドがかなり起こされ、遅い昼食を少し食べて暫し放心。

さすがに食事のトレイは片付けてもらえましたが、

いくら待ってもベッドの角度を直しに来てくれません。

諦めてベッドから降りて自分でベッドを少し倒し、ひと眠り。

するとあっと言う間に6時の夕食。

とても食欲などなく、おかずを少し食べて終了。


腰に鈍い痛みが続いたままの夜8時過ぎ、

ナースコールをして、歯磨きとトイレをお願いし、

病室からすぐのトイレまで付き添ってもらいました。

でも、帰りはひとり。

付き添いの意味って?

就寝時のベッドの角度も、検査の日程に記入されていたのに、

調節されないばかりか、まったく何も言われず、

5年前を思い出して、自分で調整することにしました。

きっと、その度ごとにナースコールすればいいのでしょうが、

私は人に頼みごとをするのが苦手。

それくらいなら自分でやった方が楽という性格。

その分ストレスになって返ってくるのはわかっているけれど…


9時を過ぎても何もないまま、40分程過ぎてから消灯。

忙しいのはわかるけれど、明らかに看護師が足りてません。

質も落ちてる気がします。


検査があったせいか、意外にも眠りにつけたはずが、

午前1時過ぎ、いきなりテレビが大音量で点いて、

看護師が飛んできました。

「○○さん、どうしたんですか?」

すると、認知症の方の隣のベッドから、

「朝だから… テレビを観てるの」

と聞こえました。

「まだ朝じゃないですよ。夜中の1時ですよ」

と看護師がテレビを消して説明し、再び穏やかに。

しかし、驚いて目を覚ますとなかなか眠りにつけず、

ウトウトしても目を覚ましてしまう、の繰り返し。

前日のひとりごとはかなり減ったものの、

2日目の夜はテレビでひと騒動起きて睡眠不足。


病室に荷物を置くと、とりあえずダンナさんには買い物をお願い。

ミエログラフィー(脊髄造影検査)の後は水分摂取が必要なので、

5年前と同様に、イオン飲料を買って来てもらうことにしました。


着替える前に身長と体重を測定。

ほとんど変わってない(;^_^A

その後は一番近い(というより隣)トイレを教えてもらい、

その他の病棟内の施設の説明は割愛(もうわかってるし)

病室に行って、荷物をほどいて着替え。

着ていたシャツは汗でビッショリ…

でも、いきなりシャワーは浴びれないし、

とりあえずはそのまま着替えることに。


ベッドは病室に入ってすぐの左側。

5年前と同じ場所です。

たった4日だし、カーテンと壁しか見えなくても仕方なし。

それにしても、大きく違うことがひとつ。

みんなカーテンが閉まってる!

8年前に子宮摘出(子宮腺筋症)で入院した、

別の病院での悪夢のような2週間を思い出しました。

あの時も5人部屋で、患者は4人。

皆、子宮摘出という、女性として失意の底にいた為か、

24時間カーテンを閉め切り、すれ違っても挨拶はなし。

窓際ということだけが救いの2週間でした。


5年前の入院では、消灯時間のみカーテンを閉め、

朝になると一斉にカーテンを開けて、

「おはようございます。」

の挨拶から始まって、ずっと賑やかに楽しく過ごしていました。

私以外の4人の方は頚髄症、人口膝関節、手の親指の手術、

そして、大腿骨骨折でした。

50~60歳代の方ばかりで、みんな気が合いました。


今回は70~80歳代の高齢で、骨折の方ばかり。

ひとりだけが、私と同じ脊柱管狭窄症の検査入院でした。

主任看護師から説明を受けた方は、

確かにしゃべっていました。

「痛いよ~、どうしてこんな思いをしなきゃいけないの~

お母さん、家に帰りたいよ~

誰か居るの~、私のことを教えて~ etc…」

といった調子で続きます。

それでも日中はさほど気にならずにいられました。


ダンナさんは買い物から戻って来ると、私に荷物を渡して

ほどなく家に帰って行きました。

家には息子と猫が待っていますからね。


夕方、お願いしたシャワーが使えることになり、

やっと安心してベッドに横たわることができました。

検査の翌日までシャワーなしは、とても無理です。

そして夕食、



何もかもが薄味の病院食に備えて、

ダンナさんが買ってくれたてのりたまのふりかけ。

ぬいぐるみを持っていくのをやめた代わりにと、

愛嬌のある容器に入ったのりたまです。

とっても助かって、退院時にはほぼ空っぽ。


夜9時に、いきなり

「消灯です」

と電気を消され、思わずビックリ。

確かに消灯は9時ですが、

夜の検温や血圧測定、体調確認もなし。

歩けない人が多い整形外科なのに、

食事のトレイの片付けすら確認なし。

前回の入院でも自分で片付けてたけど、ちょっとひどい(。>0<。)


消灯後、向いのベッドから続く声と音。

「どうしてこんなに辛い思いしなきゃいけないの~

痛いよ~、私の足どうなっちゃったの~」

そうかと思うと、ベッドの柵を叩くカンカンカン… が響く。

ウトウト寝ても、眠りの浅い私はすぐに目を覚まし、

良く眠れないまま朝を迎えることに。

それは、私と同じ検査入院の方も同じで、

ほとんど眠れないまま4日間を過ごしたそうです。


認知症の介護をしている方や家族の大変さが少しわかりました。
検査入院が終わって、自宅に帰ってきました。

次の入院は、19日の水曜日。

とりあえずは、検査入院の3泊4日の入院生活を

数回に分けてご紹介します。


入院当日の3日、余裕を持って家を出たつもりが、

バスが遅れて乗継ぎに間に合わず、

病院まで歩く羽目に陥りました。

病院行きのバスは1時間に2本だけ。

次のバスまで待っていたら、10時の受付けに間に合いません。


午前9時過ぎでも、ものすごい暑さ!

バス通りではなく近道をしても徒歩で15分以上。

最近の足腰の調子からすると、かなり限界にちかい(:_;)

でも、タクシーが嫌いな私は、限界まで乗らない!

というより、乗る選択支が頭にありません。


もうじき病院が見えるはずという場所まで来て、

電話が鳴りました。

「どこにいるの?」

と、入院受付に先に付いたダンナさんから電話でした。

「今、菅野3丁目。バスに間に合わなくて歩いてる。

調子が悪くなったって、入院するんだから大丈夫。」

そう返答する私に、ダンナさんは呆れていました。


数分後、病院に到着。



あ~、やっと着いた\(^_^)/

見慣れた病院に、5年前の入院が頭をよぎります。


エントランスを抜けると、すぐにダンナさんの姿。

入院用の大きなバッグを持って待っていました。

「着いた時はすいてたのに、もうこんなに並んでるよ。」

そう言って、空いているイスに座らせてくれました。


順番を待って受付を済ませ、

お互いに慣れた足取りでエレベーターに乗って6Fへ。

次はナースステーションで問診票etc… を渡して、

病室に案内してもらいました。

その時の注意事項は、

「すみません、ベッドが満床で…

2人部屋と案内していましたが、 5人部屋しか用意できなくて。

それで…、同じお部屋に認知症の方がいらっしゃるので、

昼も夜も喋っていますが、あまりうるさいようなら、

夜は移動しますので。」

と、主任看護師から説明を受けました。

まぁ、仕方ないよね、病院だしと承諾。


それが、とんでもない夜のプロローグでした。


夜が明けたら検査入院の日。

入院案内のパンフレットを見ながら、

荷物をバッグに詰めました。

夏って着替えがかさばらなくて良かった♪


昨日は家族揃って花火大会を見に行き、

一昨日は私の誕生日を祝ってもらいました。


一昨日の昼前に外出から帰宅したダンナさんが、

いきなり叫んでいました。

家に入ってすぐにケーキの箱を落としてしまったのが理由で、



確かにケーキが半分になってる!

買い直してくると、かなり凹んだ様子のダンナさんに、

それが思い出になるから、そのままがいいとお願いしました。


私がまだ実家にいた18歳のクリスマス。

ひとまわり歳の離れた6歳の弟が、

兄夫婦が玄関に入った時に、

大喜びでケーキの箱を持ち上げてケーキをぐちゃぐちゃに…

あの時の家族みんなの笑顔と弟の泣き顔を思い出し、

きっと忘れない誕生日になる!と嬉しくなりました。

誕生日のプレゼントはすでに貰っていたので、

とっても楽しいサプライズがおまけに♪


息子からは、私が最近気に入っているものをセットで!



フリクションのサインペン12色です。

パッチワークをする時にチャコペン代わりに使って、

最初に感動したのがフリクションのボールペン。

もともと息子が使っていたボールペンでしたが、

赤と青の2色をゆずってもらい、

試しに布に書いてアイロンをかけると一瞬で消える!

ゆっくり消えるチャコペンは生地が薄いとすぐ消えちゃうし、

値段もそれなりに高め。

かなり気に入って使っていたら、

サインペンタイプの方が使いやすいのではと、

12色セットを買ってくれました。

すっごく嬉しかった!


【ものより思い出】という、日産自動車(セレナ)のCMじゃないけど、

物を通して、より一層大きな思い出を頂きました。


昨日の花火大会も、

家族3人で1.8メートル四方のレジャーシート2枚に座って、

かなりゆったりと見て来ました。

3人で行ったのは初めてです。

家の窓からも見えるのに、

3人で見るのは最後かも… とわがままを言って。

昼間の暑さが嘘のように、涼しい風が川を渡って吹き、

今まで見たことのない新しい花火がキレイでした。


入院前に、楽しい思い出を作ってもらい、

不安な気持ちも和らぎました。

いざ、まな板の上の鯉


いよいよ入院が近づいてきました。

少しずつ必要なものを買い揃え、

土曜日には髪も切ってきました。

20センチくらいは切ったかな?

最近はあまりに暑くて、ショートにしたい!と思っていたので、

かなりスッキリしました。


前回の頸椎の手術も8月末でした。

夏の入院は荷物が少なくて済むし、

主治医いわく、

「涼しいからちょうどいいですよ」

らしいです。


通院している時から思っていたけれど、

最近はパジャマを着てる人が少ないですね。

そういう私も、前開きのネグリジェ2枚は別として、

あとはTシャツにユニクロのリラコがメインです。

検査入院の時は特に指定もないので、

Tシャツとリラコ、シビラのパイル地のワンピース(部屋着)かな。


病院では早寝早起きが基本。

だから日照時間が長い夏の入院の方が好きです。

日頃から昼間が長い方が好きな私には、

ストレスが少ない季節に入院したい!

長い夜はキツイもの(T_T)


手術自体にはまったく不安がありません。

もう慣れたのかな?

今度で5回目の手術。

全身麻酔は3回目です。

手術の予約も相談なしで決めちゃいました。

まあ、家族も覚悟していたし、

夏休みなら息子のお弁当の心配もない!


検査入院まであと1週間。

いよいよだ~


ここ数日、良い天気が続いていますね。

それも今日までらしく、また梅雨の雨空が待っているようですが(ノ_・。)


台風が来ているせいか、天気が良くても風が強い。

でも体調は久しぶりに良くて、いつもよりは痛くない感じです。

自転車に乗って買い物に出掛けたり、

近所に気分転換に行ったりして、

暑いながらもアクティブに動いています。



長い参道が続く、ここは有名な徳願寺。



植え込みには手入れが行き届いた木や花があって、

山門まで歩くうちに、肺の中の空気が澄んでいく気がします。

寺社仏閣の空気って、境内に入った途端に変わりますよね。



朱塗りの山門(仁王門)は、かなりの存在感があります。

その名が示す通り、ガラスと格子で囲まれた中には仁王像。



ガラスが汚れていて、上手に撮影できませんでしたが、

向かって右側の立像がこちら。



そして、左側の立像がこちら。

だいぶ雰囲気が違いますね。


山門を抜けると、ふっと気持ちが和らぐような景色。



厳つさはなくなり、緊張もほどけてきました。



いかにも古そうなこの建物、いったい何だろう?

その向かいには、



とっても不思議な形の岩がありました。

これは溶岩なのかな?

松の木となるこゆりの葉が涼しそう。


徳願寺の山門をくぐったのは、去年の大晦日が初めてでした。

寺町と呼ばれるほど、お寺の多い地域の中でも、

ひときわ敷居が高いイメージがあって、入れませんでした。

徳川家康が開祖であり、1年ではあるものの、

明治時代に印旛県の県庁が置かれていた程ですから。


日光東照宮のように、観光で行くような場所ではないだけに、

とても静かで落ち着きました。


子供の頃は教会に通っていたのに、

寺社仏閣の方が好きなのは、日本人だからでしょうか。

自分でもよくわからない、謎です。
毎日毎日、嫌になるほど雨が降っています。

雨自体は嫌いじゃないのですが、

どうしても体調が悪くなるし、外出も必要最小限になります。


今日、夕食を準備している時、

オムレツを作ろうとして小鉢に卵を割りいれ、

調味料を加えて混ぜようと持ち上げた途端、

小鉢が指から滑り落ちて、卵が消えました。

正確には、食器用の水切りカゴの下に入ってしまい、

見えなくなっただけのですが…


オムレツを焼く担当の息子は、何が起こったのかわからず、

しばし沈黙。

私がこぼれた卵を見せると、やっと訳がわかったようで。

朝の情報番組に出てくる、ぐでたま を地でいったような出来事。

ちょっと笑ってしまいました。


どうにか夕食の支度が終わり、家族3人で食べていると、

今度は冷奴を入れた小鉢を落としてしまい、

テーブルの真ん中へ向かって豆腐がすべって行きました。

当然、テーブルの上はベタベタ…


自覚がないままに、手の感覚が鈍っていたようで、

久しぶりに凹んでしまいました。

ご飯茶碗を持つだけで痛くてたまらないこともありましたが、

最近はそんなこともなく、順調だったのに…


自分の体、もっと良く知らないとね!