病室に荷物を置くと、とりあえずダンナさんには買い物をお願い。

ミエログラフィー(脊髄造影検査)の後は水分摂取が必要なので、

5年前と同様に、イオン飲料を買って来てもらうことにしました。


着替える前に身長と体重を測定。

ほとんど変わってない(;^_^A

その後は一番近い(というより隣)トイレを教えてもらい、

その他の病棟内の施設の説明は割愛(もうわかってるし)

病室に行って、荷物をほどいて着替え。

着ていたシャツは汗でビッショリ…

でも、いきなりシャワーは浴びれないし、

とりあえずはそのまま着替えることに。


ベッドは病室に入ってすぐの左側。

5年前と同じ場所です。

たった4日だし、カーテンと壁しか見えなくても仕方なし。

それにしても、大きく違うことがひとつ。

みんなカーテンが閉まってる!

8年前に子宮摘出(子宮腺筋症)で入院した、

別の病院での悪夢のような2週間を思い出しました。

あの時も5人部屋で、患者は4人。

皆、子宮摘出という、女性として失意の底にいた為か、

24時間カーテンを閉め切り、すれ違っても挨拶はなし。

窓際ということだけが救いの2週間でした。


5年前の入院では、消灯時間のみカーテンを閉め、

朝になると一斉にカーテンを開けて、

「おはようございます。」

の挨拶から始まって、ずっと賑やかに楽しく過ごしていました。

私以外の4人の方は頚髄症、人口膝関節、手の親指の手術、

そして、大腿骨骨折でした。

50~60歳代の方ばかりで、みんな気が合いました。


今回は70~80歳代の高齢で、骨折の方ばかり。

ひとりだけが、私と同じ脊柱管狭窄症の検査入院でした。

主任看護師から説明を受けた方は、

確かにしゃべっていました。

「痛いよ~、どうしてこんな思いをしなきゃいけないの~

お母さん、家に帰りたいよ~

誰か居るの~、私のことを教えて~ etc…」

といった調子で続きます。

それでも日中はさほど気にならずにいられました。


ダンナさんは買い物から戻って来ると、私に荷物を渡して

ほどなく家に帰って行きました。

家には息子と猫が待っていますからね。


夕方、お願いしたシャワーが使えることになり、

やっと安心してベッドに横たわることができました。

検査の翌日までシャワーなしは、とても無理です。

そして夕食、



何もかもが薄味の病院食に備えて、

ダンナさんが買ってくれたてのりたまのふりかけ。

ぬいぐるみを持っていくのをやめた代わりにと、

愛嬌のある容器に入ったのりたまです。

とっても助かって、退院時にはほぼ空っぽ。


夜9時に、いきなり

「消灯です」

と電気を消され、思わずビックリ。

確かに消灯は9時ですが、

夜の検温や血圧測定、体調確認もなし。

歩けない人が多い整形外科なのに、

食事のトレイの片付けすら確認なし。

前回の入院でも自分で片付けてたけど、ちょっとひどい(。>0<。)


消灯後、向いのベッドから続く声と音。

「どうしてこんなに辛い思いしなきゃいけないの~

痛いよ~、私の足どうなっちゃったの~」

そうかと思うと、ベッドの柵を叩くカンカンカン… が響く。

ウトウト寝ても、眠りの浅い私はすぐに目を覚まし、

良く眠れないまま朝を迎えることに。

それは、私と同じ検査入院の方も同じで、

ほとんど眠れないまま4日間を過ごしたそうです。


認知症の介護をしている方や家族の大変さが少しわかりました。