【報告】2・11反「紀元節」行動
【報告】
「天皇在位二〇年」を祝わない!2・11反「紀元節」行動
2月11日、「天皇在位20年」を祝わない!2・11反「紀元節」行動が都内で行われた。130人が参加した。
天皇アキヒトの在位20年となる今年、政府は十一月一二日の記念式典を閣議決定。さらに記念硬貨の発行、11月12日の臨時「祝日」化などが準備されている。これに対して、首都圏では〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!えーかげんにせーよ共同行動(仮)が呼びかけられている。
集会では伊藤晃さんが講演。
「天皇制に対して多くの市民はあっても悪いものではないという消極的好意を持っている。アキヒト天皇制二十年の成果だ。アキヒトは象徴天皇派の形成に成功した。現代の天皇主義は伝統的天皇主義と明らかに違う。天皇制は戦後的価値観そのもの。
羽毛田宮内庁長官発言が示すように、支配集団には迷いがある。アキヒトが悩んでいる『皇統』問題は解決不可能だ。
アキヒトは戦争の影をぬぐえなかったヒロヒトを乗り越え、象徴天皇制をつくりあげた。 天皇は戦争責任問題を口にする。だが、天皇が口を出す時、天皇・日本国家の戦争責任を回避。戦前からの国家無答責を貫いている。
アキヒトは沖縄や裁判などへの慰霊を繰り返してきたが、天皇の言葉は戦争問題を国民意識に閉じ込め、平和意識を一定の方向へ誘導してきた。
天皇は災害などで弱者を見舞い、慰める。メディアを通してそれを見せ付ける。天皇と国民が皆で作っている国という一体感による統合。アキヒトは手や顔の動きなど臆面もなく、パフォーマンスを行うことができる。アキヒトは歴代天皇と違い、計算して寄り添い、誘導する。それがヒロヒトとの違い。皇太子もそのようなパフォーマンスがうまくできない。
実際の天皇は十重二十重と権力装置に取り囲まれてくる。本人も世論も矛盾を感じていない。ヒロヒトが国際協調・国民国家の天皇像をつくり、二代かけて適応した。成功したと見えたとき、21世紀になった。次の天皇制は成功するのか。
田母神問題は、米国に虐げられた軍事力を解き放ちたいという欲求。大東亜思想―靖国イデオロギーは天皇主義に不可欠。だが、現実の天皇制は親米。反米を声高に唱えることは現実の天皇制と矛盾する。
経済危機で〈国民一体の天皇制〉は崩壊した。天皇は『弱者をいたわれ』と言っているが、人々は弱者は自分たちだと思っている。現代天皇制は社会に適応しようと必死。その破綻を冷静に見て取る必要がある」
講演後、各団体のリレートークが行われ、続いて百三十人の参加者はデモへ。
この日、天皇主義右翼は明治神宮会館で「奉祝中央式典」を行い、その後、デモの妨害にやってきた。参加者は右翼の執拗な妨害を許さず、渋谷・宮下公園までデモを行い、『在位20年奉祝』に抗議の声を上げた。
【転載】花畑団地見学交流会(2月11日)
【転載】花畑団地見学交流会(2月11日)
※「ピースベリージャム」49号から転載
花畑団地見学交流会が2月1日に行われ、それに参加しました。
今日、多くの日雇い派遣や期間従業員、外国人労働者が違法・無法な解雇や雇い止めにより職を失い、同時に住まいも失うという事態がマスコミにより大きく報道されています。
厚生労働省は昨年12月、非正規従業員の雇い止めによる失業者が約8万5千人に上ると発表しましたが、「景気悪化」に歯止めがかからないことから、今年の3月には12万人にも及ぶのでは・・・と囁かれています。そのうち、住居喪失者は2000人あまりと云われていますが、実数はさらに多くの方が住む場所を失うことが予想されます。
戦後からの日本における無策な住宅政策のつけがまわってきました。「持ち家」奨励・公共住宅の削減、障害者・高齢者。外国人、低所得者向けの住宅が圧倒的に少なく民間の高い家賃、制限の多い契約内容等の中でこれまでなんとか生活をして来ましたが、今や破綻をきたしています。
派遣、日雇い、外国人労働者の解雇等により、多くの人が路上に放り出される事態が発生し、国土交通省は昨年12月に離職者の居住安定確保に向けた対策で都市再生機構(UR)賃貸住宅の空き家の活用を発表しました。しかし、対象物件は、都内では東久留米市のひばりが丘団地のみでそれもわずか9戸、神奈川県と埼玉県を合わせても合計45戸に過ぎません。これでは住まいを失う人への住宅確保(UR住宅の活用によるもの)には到底程遠いと言わざるを得ません。
一方、東京都足立区には都市再生機構(UR)(旧公団住宅)が管理・運営する花畑団地という住宅団地があります。この花畑団地は東武伊勢崎線竹ノ塚駅からバスで約15分ほどの場所にあり、全部で80棟、約2700戸ある巨大団地です。ここはURにより10年前から建替え対象団地に指定され、以来新規入居者の募集が停止され、現在1000戸以上が空室で入居中の住宅も高齢者が圧倒的に多い状態です。いわば都会のなかの「限界集落」が生み出されています。計画では1千戸以上の住宅を壊し商業施設の誘致や民間への転売を計画しています。
空き家の多いこの団地は、離職者の緊急使用住宅の対象外です。緊急で貸出すつもりはもうとう無いようです。しかし、これらの空室は、少し清掃さえすればすぐにでも住める部屋なのです。
夜を寒空の下で過ごすことを余儀なくされる仲間が多くいる一方で、すぐそばにはすぐにでも入居可能な部屋が数多く残され、さらには十分使えるこの住宅を壊そうとしている。こうした無策・無謀による社会資本の不活用が許されていいわけがありません。人の生存がかかっている情勢において、こうした計画を全面的に見直し、空室に緊急一時的に入居させ、住まいの確保を行うことがが、なによりも優先されるべきです。
世帯主が70歳以上である世帯が半分以上という高齢者の多い花畑団地。この団地の地域コミュニティにとっても、若年層、若年世帯が多数入居することによりソーシャルミックスが達成され、コミュニティの活性化にもつながります。そして団地内の高齢者世帯を対象とした介護などの仕事の掘り起こしについても期待できます。<
そこでこの花畑団地の見学会と、住民の方たちとの交流会が2月1日に行われました。
集会には100名以上の方が集まり、居住者の抱える問題と住まいの無い人たちとの共通の要求が合致する集会となりました。高齢化していく住民の方々の発言で「地域が寂れていく事の歯止めとして、空いている部屋に住んでもらいたい」という要望と、ネットカフェで寝泊りする若者や、シングルマザーの方の発言で「安定した住居を確保したい」という問題が一挙に解決すると思います。
団地の公園に子供たちの声が聞かれるよう、地域の商店街がシャッターを開けて活気づくよう、空き部屋だらけで不安をもつ高齢者の世帯も、隣に住人が住むことにより助けあう機会がうまれ、地域社会がどんなに元気に再生できるか簡単にわかる事だとおもいます。
しかしURや国土交通省は、この集会の妨害に終始する有様です。
いま、住まいの公的なセフティーネットが少なくて大きな社会問題となっている時に、このような、住まいの権利への侵害に対し反対する決議を行い集会は成功のうちに終了しまた。
(瀬木 宣夫)
【転載】近藤繁さんを悼む会
【転載】
2009年2月1日
「近藤繁さんを悼む会」
近藤繁さんを悼む
近藤繁さん。あなたは正月早々1月2日に殺された。報道によれば、死因は頭蓋骨骨折などによる失血死という。頭に十数カ所の傷があり後頭部が陥没していた。うつぶせ状態で発見され着衣に乱れはなかった。橋げたの横にダンボールを敷いて寝袋に入っていたそうだ。司法解剖では両手には抵抗したような傷があったという。この両手の傷は、死ぬまいと、生きようとした証である。寝込みを襲われて、凍てつく寒さをしのぐ寝袋の中から腕を出し最後まで抵抗しようとしたのだろう。から、ほぼ真上から振り下ろされる鈍器に、地面10cm対峙したのだろう。なんという壮絶な最期か。
この殺害現場には、そろえた靴やポリ袋、ナップサックもあったそうだ。ここで野宿していたのだ。1.5mほどの高いフェンスで囲われている。簡単には入れない。だから近くに野宿者はいない。昨年から、道路の高架下で連続して高齢の野宿者が襲われ殺されてきた。今回も、襲撃の途中、誰も気づかず、誰も近くを通らなかったかもしれない。なぜ高架下に野宿者はいるのか――。
この数年、野宿者の寝場所は大きく変わってきた。河川敷や都市公園など地域住民の目につく場所では撤去が繰り返されている。商店街の天井は冬季に開けられる。ベンチの屋根は取り払われる。こうして、わずかな場所を奪われた野宿者が姿を見せるのは、より深夜の時間帯になり、寝ないで夜通しさまよう人も多くなった。孤立した寝場所か、深夜もさまようか・・・非常に限られた選択肢から選ばざるを得ないのだ。
高架下に野宿する理由はいくつかある。1)雨をしのげる。2)他の野宿者があまりおらず、いても距離が離れる。3)地域住民が近づいてこない。しかし高架下の多くは、排気ガスによって空気が悪い場所であり、孤立している場所である。周囲の野宿者からも地域住民からも孤立している場所に、高齢の野宿者がたどり着き、定住する間もなく殺害されたのだ。
近藤繁さん。あなたの人生が見えない。公表されているのは名前と年齢71歳だけだ。ご飯はどこで手に入れていたの?期限切れの弁当?アルミ缶集め?誰かにもらっていたの? どの町で生まれたの。どんな仕事をしてきたの。最後に暮らした町はどこ?この近く? いつ頃まで家にいたの。路上にでてきて10年?それとも間もない? 何に追われたの。借金の取り立て?家族との軋轢?・・・。
襲撃・殺害に怒りと悲しみのない者の言葉が、他者に届くはずがない。私たちは怒りを隠さない。悲しみを吐露する。排除や襲撃は、人間を大切にしない社会と、生命をすり減らす冬の時代の象徴だ。世間から価値なき者として扱われ、居場所なく空間的に追われ、心理状態も含め若者や子どもと野宿者とが「近い」存在になっている。そしてささいなことで「やりあう関係」になってしまうことも、継続しエスカレートした襲撃が人を「死」に至らしめることもある。破壊されてきた人間相互の関係の復権を。その先に、若者、子ども、教育・福祉関係者、大人・・・1人1人が野宿者問題と向き合う時空が拓かれる。襲撃に対峙することは、ストレスの充満する子や若者と一緒にする“世直し”である。
記憶は武器である。そして記憶は執念となる。近藤繁さんを殺した状況よ、私たちはこのことを風化させない。胸に刻みつける。近藤繁さん、あなたを追悼するこの日から、私たちに何ができるかを考え、何かを生みだしたい。正解はない。ここに集まったすべての人が、地域や職場で悩みながら話すこと。その試行錯誤の時空を共有すること。うまく説明できなくてもいい、言葉にならなくてもいい、しかし決して目の前の「事件」から決して逃げない姿は、若者や子たちに何かを伝えるにちがいない。1人の生きてきた歴史と、痛ましく壮絶な死の記憶を、世の中を人間の体温の伝わる社会に変えてゆく一歩としたい。
「近藤繁さんを悼む会」実行委員会