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【報告】反貧困ネットが選挙目前!集会

選挙目前!集会 私たちが望むこと


7月31日、「選挙目前!集会 私たちが望むこと」
総評会館。反貧困ネットワーク主催で380名が参加した。



格差と戦争にNO!

【報告】講演会「貧困時代に問う「権利としての労働」」

【報告】
講演会「貧困時代に問う「権利としての労働」」


7月25日、講演会「貧困時代に問う『権利としての労働』」が都内で行われた。主催は国連・憲法問題研究会。
講師は、笹沼弘志さん(静岡大学、憲法学)。

「貧困時代」の権利としての労働について笹沼さんが講演した。

「派遣村などがあり、貧困の問題が社会的に取り上げられるようになってきた。
だが、みのもんたの『派遣の期間は分かっていたんだから、なぜ貯金しておかなかったんだ』という発言に見られるように「自己責任」を問う意見が未だに強い。
これが野宿者になると、『なぜ派遣村にホームレスがいるんだ』『派遣切りは企業エゴだが、ホームレスは個人のエゴ』のように言われる。

いまの労働は企業への自発的服従。

遡ると19世紀のドイツ社会主義運動でラサール派とマルクス派の論争があった。
「権利としての労働」を要求に盛り込もうとしたラサール派に対して、現在の労働は隷従だと盛り込むに反対したのがマルクス。

私が学部生だった86年に男女雇用機会均等法、労働者派遣法が施行された。当時派遣法に危機感を持っていた人は少なかった。
日本では労使慣行が企業の私的自治として力を持ち、労働法をことごとく破っている。

福祉事務所窓口でも、職員が家がない人の居宅保護を定めた生活保護法を公然と無視している。
御手洗日本経団連会長は、法律を破っておいて「法律が間違っている」と言っている。


グッドウィルは、派遣労働者には他の派遣会社と契約する完全な自由があると、データ装備費の名目でのピンはねを正当化した。
松下ディスプレイでは、会社が派遣労働者に「君がんばっているから、今度契約する派遣会社に移ってくれ。それで今度時給が150円下がるから」と言い渡した。頑張れば頑張るほどワナにはまる。


生活保護で役所の窓口での水際作戦がなぜおこるのか。申請者が生活保護の要件を満たしていなければ申請却下すればいい。
実際は受け付けたら、多くは生活保護を出さなければならない。だから、違法な受付拒否=水際作戦をして、職員は『生活保護は本人のためにならない』『本当に困っていら何度でもくるはずだ』と言っている。


生活保護法の規定を無視して厚労省は住居がない者に生活保護を出すなと指導している。申請者が不服審査したらどうするかについて厚労省は何も言っていない。

『勤労する義務』だが、19世紀にラサールが言った、勤労の権利・勤労の義務とは搾取の拒否。勤労の義務とは、元々は資本家に対して勤労の義務があるということ。
公共の福祉のために資本家の財産権を制限するというのが25条、27条。

資本家の不労所得を制限するという本来の意味で「勤労の義務」が使われていない。

職場の提供を国は拒否し、勤労だけが人びとに義務付けられている。
現代、『勤労の義務』が逆の意味で使われている。ますます企業に縛り付けられる。

セーフティネットは、おかしいことがあったときに「いやだ」「おかしい」と言えるためのセーフティネット。

大学で憲法を教えていて、人権というと皆9条や25条などと思う。だが、一番重要なのは11条「人権は侵すことができない永久の権利」。
自由な社会がいいと思うかと学生に聞くと「強いやつにいじめられそうだからいやだ」という。

だが、いじめられている人がいる社会は自由な社会ではない。
生存権とは、いやだということ生活を失うという人にはいやだといって逃げてきなさいという(他人や会社への)依存を断ち切る権利。

『働く権利』とは何か。単に物を作る権利ではない、世界を創る権利。

アーレント(政治哲学者)は「働くこと」を、労働と仕事に分けた。

「労働」とは、自然との新陳代謝で体力の消耗過程、労働力の消費過程で奴隷労働のようなもの。「労働」でつくられたものは私のもの。得られた成果を世界から切り取る。
「仕事」とは、世界をつくること。建物を建てたり、机や椅子を作ったりして、一箇所に多くの人が集う。道路をつくることで会えなかった人が会える。それによって議論する、公演を楽しむ。つくる過程が仲間を作る。一緒に働いて仲間をつくるというのが働くということ。
憲法が保障しているのは、仲間をつくり、世界をつくり、幸福を実現していくことができる世界をつくる権利。働く権利とはそういう夢と希望。」


講演を受けて、後半の質疑応答が行われた。参加者からは、人権、失業給付と生活保護、憲法25条と27条についてなど様々な質問が出された。


格差と戦争にNO!

【報告】加瀬勉さんを囲む会

加瀬勉さんを囲む会
「三里塚闘争と一坪共有地運動について」


7月19日、加瀬勉さんを囲む会「三里塚闘争と一坪共有地運動について」が東京・飯田橋で行われ、50人以上が参加した。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(Ⅱ)、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会。

 成田空港会社は全国の一坪共有者に共有地売却を求める手紙を昨年12月と2月に送りつけてきた(千葉日報3月17日によれば「130人が応じる」と回答)。
再スタートした大地共有委員会(Ⅱ)は加瀬さんを先頭にニュースレターを発行し、共有運動の強化を呼びかけてきた。


 囲む会では、最初に三里塚現地のスライドが上映された。
 続いて大地共有委員会(Ⅱ)代表で一坪共有地提供者である加瀬さんが講演。

格差と戦争にNO!


 「1966年、富里・八街空港反対闘争で共有運動が展開された。最初は、借地、地上権の設定や立ち木だったが、青年行動隊員が一坪共有

地を提供。三千人の申し込みがあった。 

 三里塚では、騒音地区と敷地内の農民の団結を図るために第一次共有運動が取り組まれた。

 第二次共有運動に私が提供した木の根共有地は、相続問題が生じた小川直克君の土地で『小川明治さんの遺志を継いでくれ』と反対同盟から所有を要請された土地だ。共有地は闘争の半ばで倒れた人たちの遺志を継いでいる。闘争する人間の意志も敷地内の土地を持つことで確固としたものになる。
 北原派で66年共有運動開始の経過を知っている人がいないので、北原派が空港会社に訴えられた裁判に証人として出た。だが、判決で
は総会・事業計画・会費徴収などの記録が残ってないからと、共有運動を行った『三里塚周辺に土地を持つ会』は存在しないとされた。


 大地共有委員会は今年再発足したわけだが、階級闘争のモラルに基づいて土地を守る受け皿を早急に作ってほしい」


 世話人の高橋千代司さんは「再共有運動開始から25年経った。当時75歳の人は100歳。大地共有委員会(Ⅱ)は1月の旗開きに総会を開き、共有者を会員として、活動を行っていく。それによって三里塚の歴史を継いで行くことができる」

 静岡の塚本春雄さんは「連帯する会代表の上坂さんと共に三里塚連帯に参加してきた。小川源さんたちから学んできた」と、三里塚のた

たかいが静岡空港反対など、各地の運動に引き継がれていると語った。


 目黒の宮本なおみさんは「三里塚はいろんな運動の原点」と新たな運動を作り出していくことを呼びかけた。
 関西の渡辺充春さんは「関西でも当初は共有者の会を行っていたが、最近は名前だけの共有者も多かった。
 この間、関西で議論してきたのは相続問題。再共有化運動の契約では反対の意志を持つ一代に限り、相続を認めるとなっている。新しい
地平として反対の意志を持つ者への譲渡を認めるべきではないか」


 加瀬さんは「俺も75歳。キチンとしなければのっとられてしまう。私個人の土地ではない。組織的にきちんとしていかないと。

 芝山鉄道などからは、高待遇を条件に土地売却を持ちかけられた。部落では土地を売って豊かに生活しろといわれている。土地は売らな

い。歯を食いしばってがんばっていこう」


 最後に横堀の山崎宏さんは「空港会社の手紙をきっかけにこのようになった。反革命が革命を呼ぶということだと思う」。
そして、10・22北伸滑走路の供用開始に反対する10・18東峰現地行動への結集が提起された。


 続いて共有者の会議が行われた。山崎宏さんは大地共有委員会(Ⅱ)としての新たなスタートについて報告。ニュースレター発行、共有委員会の共有地の状況、把握している共有者名簿、今後の運動イメージなどが報告された。欠席した共有者から寄せられた未来永劫もち続けるとまでは言い切れないという率直なメッセージも紹介された。


 全国から参加した共有者からは、相続問題、大地共有委員会の法人化、手続きについてのマニュアル化と名簿管理、加瀬さんが保管する三里塚資料の扱いなど、今後の運動について活発な意見が出された。
 今後、委員会が会議での提起をまとめ、今後の運動を提案していくことが確認された。


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 00290-1-100426 大地共有委員会(Ⅱ)


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