【報告】加瀬勉さんを囲む会 | 格差と戦争にNO!

【報告】加瀬勉さんを囲む会

加瀬勉さんを囲む会
「三里塚闘争と一坪共有地運動について」


7月19日、加瀬勉さんを囲む会「三里塚闘争と一坪共有地運動について」が東京・飯田橋で行われ、50人以上が参加した。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(Ⅱ)、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会。

 成田空港会社は全国の一坪共有者に共有地売却を求める手紙を昨年12月と2月に送りつけてきた(千葉日報3月17日によれば「130人が応じる」と回答)。
再スタートした大地共有委員会(Ⅱ)は加瀬さんを先頭にニュースレターを発行し、共有運動の強化を呼びかけてきた。


 囲む会では、最初に三里塚現地のスライドが上映された。
 続いて大地共有委員会(Ⅱ)代表で一坪共有地提供者である加瀬さんが講演。

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 「1966年、富里・八街空港反対闘争で共有運動が展開された。最初は、借地、地上権の設定や立ち木だったが、青年行動隊員が一坪共有

地を提供。三千人の申し込みがあった。 

 三里塚では、騒音地区と敷地内の農民の団結を図るために第一次共有運動が取り組まれた。

 第二次共有運動に私が提供した木の根共有地は、相続問題が生じた小川直克君の土地で『小川明治さんの遺志を継いでくれ』と反対同盟から所有を要請された土地だ。共有地は闘争の半ばで倒れた人たちの遺志を継いでいる。闘争する人間の意志も敷地内の土地を持つことで確固としたものになる。
 北原派で66年共有運動開始の経過を知っている人がいないので、北原派が空港会社に訴えられた裁判に証人として出た。だが、判決で
は総会・事業計画・会費徴収などの記録が残ってないからと、共有運動を行った『三里塚周辺に土地を持つ会』は存在しないとされた。


 大地共有委員会は今年再発足したわけだが、階級闘争のモラルに基づいて土地を守る受け皿を早急に作ってほしい」


 世話人の高橋千代司さんは「再共有運動開始から25年経った。当時75歳の人は100歳。大地共有委員会(Ⅱ)は1月の旗開きに総会を開き、共有者を会員として、活動を行っていく。それによって三里塚の歴史を継いで行くことができる」

 静岡の塚本春雄さんは「連帯する会代表の上坂さんと共に三里塚連帯に参加してきた。小川源さんたちから学んできた」と、三里塚のた

たかいが静岡空港反対など、各地の運動に引き継がれていると語った。


 目黒の宮本なおみさんは「三里塚はいろんな運動の原点」と新たな運動を作り出していくことを呼びかけた。
 関西の渡辺充春さんは「関西でも当初は共有者の会を行っていたが、最近は名前だけの共有者も多かった。
 この間、関西で議論してきたのは相続問題。再共有化運動の契約では反対の意志を持つ一代に限り、相続を認めるとなっている。新しい
地平として反対の意志を持つ者への譲渡を認めるべきではないか」


 加瀬さんは「俺も75歳。キチンとしなければのっとられてしまう。私個人の土地ではない。組織的にきちんとしていかないと。

 芝山鉄道などからは、高待遇を条件に土地売却を持ちかけられた。部落では土地を売って豊かに生活しろといわれている。土地は売らな

い。歯を食いしばってがんばっていこう」


 最後に横堀の山崎宏さんは「空港会社の手紙をきっかけにこのようになった。反革命が革命を呼ぶということだと思う」。
そして、10・22北伸滑走路の供用開始に反対する10・18東峰現地行動への結集が提起された。


 続いて共有者の会議が行われた。山崎宏さんは大地共有委員会(Ⅱ)としての新たなスタートについて報告。ニュースレター発行、共有委員会の共有地の状況、把握している共有者名簿、今後の運動イメージなどが報告された。欠席した共有者から寄せられた未来永劫もち続けるとまでは言い切れないという率直なメッセージも紹介された。


 全国から参加した共有者からは、相続問題、大地共有委員会の法人化、手続きについてのマニュアル化と名簿管理、加瀬さんが保管する三里塚資料の扱いなど、今後の運動について活発な意見が出された。
 今後、委員会が会議での提起をまとめ、今後の運動を提案していくことが確認された。


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 00290-1-100426 大地共有委員会(Ⅱ)


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