【報告】講演会「貧困時代に問う「権利としての労働」」
【報告】
講演会「貧困時代に問う「権利としての労働」」
7月25日、講演会「貧困時代に問う『権利としての労働』」が都内で行われた。主催は国連・憲法問題研究会。
講師は、笹沼弘志さん(静岡大学、憲法学)。
「貧困時代」の権利としての労働について笹沼さんが講演した。
「派遣村などがあり、貧困の問題が社会的に取り上げられるようになってきた。
だが、みのもんたの『派遣の期間は分かっていたんだから、なぜ貯金しておかなかったんだ』という発言に見られるように「自己責任」を問う意見が未だに強い。
これが野宿者になると、『なぜ派遣村にホームレスがいるんだ』『派遣切りは企業エゴだが、ホームレスは個人のエゴ』のように言われる。
いまの労働は企業への自発的服従。
遡ると19世紀のドイツ社会主義運動でラサール派とマルクス派の論争があった。
「権利としての労働」を要求に盛り込もうとしたラサール派に対して、現在の労働は隷従だと盛り込むに反対したのがマルクス。
私が学部生だった86年に男女雇用機会均等法、労働者派遣法が施行された。当時派遣法に危機感を持っていた人は少なかった。
日本では労使慣行が企業の私的自治として力を持ち、労働法をことごとく破っている。
福祉事務所窓口でも、職員が家がない人の居宅保護を定めた生活保護法を公然と無視している。
御手洗日本経団連会長は、法律を破っておいて「法律が間違っている」と言っている。
グッドウィルは、派遣労働者には他の派遣会社と契約する完全な自由があると、データ装備費の名目でのピンはねを正当化した。
松下ディスプレイでは、会社が派遣労働者に「君がんばっているから、今度契約する派遣会社に移ってくれ。それで今度時給が150円下がるから」と言い渡した。頑張れば頑張るほどワナにはまる。
生活保護で役所の窓口での水際作戦がなぜおこるのか。申請者が生活保護の要件を満たしていなければ申請却下すればいい。
実際は受け付けたら、多くは生活保護を出さなければならない。だから、違法な受付拒否=水際作戦をして、職員は『生活保護は本人のためにならない』『本当に困っていら何度でもくるはずだ』と言っている。
生活保護法の規定を無視して厚労省は住居がない者に生活保護を出すなと指導している。申請者が不服審査したらどうするかについて厚労省は何も言っていない。
『勤労する義務』だが、19世紀にラサールが言った、勤労の権利・勤労の義務とは搾取の拒否。勤労の義務とは、元々は資本家に対して勤労の義務があるということ。
公共の福祉のために資本家の財産権を制限するというのが25条、27条。
資本家の不労所得を制限するという本来の意味で「勤労の義務」が使われていない。
職場の提供を国は拒否し、勤労だけが人びとに義務付けられている。
現代、『勤労の義務』が逆の意味で使われている。ますます企業に縛り付けられる。
セーフティネットは、おかしいことがあったときに「いやだ」「おかしい」と言えるためのセーフティネット。
大学で憲法を教えていて、人権というと皆9条や25条などと思う。だが、一番重要なのは11条「人権は侵すことができない永久の権利」。
自由な社会がいいと思うかと学生に聞くと「強いやつにいじめられそうだからいやだ」という。
だが、いじめられている人がいる社会は自由な社会ではない。
生存権とは、いやだということ生活を失うという人にはいやだといって逃げてきなさいという(他人や会社への)依存を断ち切る権利。
『働く権利』とは何か。単に物を作る権利ではない、世界を創る権利。
アーレント(政治哲学者)は「働くこと」を、労働と仕事に分けた。
「労働」とは、自然との新陳代謝で体力の消耗過程、労働力の消費過程で奴隷労働のようなもの。「労働」でつくられたものは私のもの。得られた成果を世界から切り取る。
「仕事」とは、世界をつくること。建物を建てたり、机や椅子を作ったりして、一箇所に多くの人が集う。道路をつくることで会えなかった人が会える。それによって議論する、公演を楽しむ。つくる過程が仲間を作る。一緒に働いて仲間をつくるというのが働くということ。
憲法が保障しているのは、仲間をつくり、世界をつくり、幸福を実現していくことができる世界をつくる権利。働く権利とはそういう夢と希望。」
講演を受けて、後半の質疑応答が行われた。参加者からは、人権、失業給付と生活保護、憲法25条と27条についてなど様々な質問が出された。