25歳になったあなたに会いたい。

 

あんなにいい子でなくて

わがままで

自分勝手で

親は心配とお小言ばかり

そんな10代を過ごしてほしかった。

 

17歳の時ですら

わたしよりすっかり大人だったけど、

25歳になったら

どんなにステキなんだろう。

 

いや、病気にならなかったら

わがまま放題の25歳だったかも。

そんな当たり前の25歳に会いたい。

ご無沙汰しています。

 

先日、七回忌を無事、とり行いました。

次女のことやなんやかや、さまざまな心配がありましたが

まったく順調に、終えることができました。

 

天からのお計らいだなあと

ありがたく思っています。

 

私自身は、ピアとして

今苦しんでいる人のオハナシをきくボランティアになろうと

講習会に参加していました。

そこには知らない病気や障害などの子どもを育ててきた

広い意味での同志、ピアさんたちがいて

自分のことも話さねばなりません。

 

でもね、何度も自己紹介をこなすうち

要領よく悲しくなり過ぎず

淡々とお話しすることができるようになって

 

「時間クスリってあるのだなあ」と思っていました。

 

紆余曲折して

グリーフを求めて

でも。あまり行動できなかった丸6年でしたが

 

私のグリーフはそろそろ完成かなって

ちょっとおこがましいことを考えたりしました。

 

娘がお世話になった病院のスタッフさんたちとも

お会いする機会がありました。

そこには

病気を克服し、

「あれから25年、今では2児の母」みたいな人もいて

誇らしいし、うれしいのだけれど

 

 

奥のほうで

 

ざらつく思いがあるのも感じてしまいました。

 

 

まだまだ、だな。。。

 

 

それに

「健康診断は受けない」と思っているんですね、私。

 

究極は

「そんなに長生きしたくない」ってところに

行きつくんだと思ったら

 

やっぱり、どこか歪んでますよね。

まだまだ、だな

 

 

とはいえ、

とても元気にやってます。

 

今日は日曜日。

子どもたちは2人ともアルバイトです。

私はひとり、

とてもすがすがしく、ひとり時間を満喫しています。

 

 

やっぱり

天からのお計らいあってのことだと

娘に感謝する毎日です。

ごぶさたしています。
相変わらずパタパタしてます。  

さて、今日は娘の誕生日でした。
もう23歳です。
「生きていたら…」っていう台詞はキライです。
娘は23歳になりました。
私は母になって、23年目になりました。

娘はひとり目だったので、
不安でドキドキで失敗ばかりの子育てでした。
いや、ふたり目も3人目も失敗ばかりですが
ひとり目は特に…
謝りたいことがたくさんあります。

そんな私の最大の失敗は
やはり健康に育てられなかったこと。 

何度そう思うのは止めようと思っても
ダメでした。
これは、
娘の悲しい思い出といっしょに
大切に、ずっと、抱えていくしかない。
そう思っています。


今年は七回忌です。
気持ちは少し変わってきて、
私はワガママ宣言しています。
自分のことを一番にする、そう決めました。

次女は少しずつ外出しはじめ、
私とふたりでショッピングもできるようになりました。

息子は希望通りではなかったものの、
なんとか受け入れてくれる大学が見つかりました。

このふたりに、
人生の楽しさを味わってほしい。
目一杯生きてほしい。
それを言葉で言っても伝わらないから、
私がやってみせることにしました。

何より、私も自分の人生を生ききらないと、
なかなか娘がお迎えに来てくれない。
そう娘が言ってるので(笑)


じわじわとがんばっていきます。
23歳の娘の姿はみえないけど、
私には、娘の声は感じられるので。



お誕生日おめでとう!
私を母にしてくれて、ありがとう!



ご無沙汰しております。

元気にしています。

 

先日、ipS細胞を利用した白血病治療について

報道がありました。

私の記憶はあの頃のまま止まっていますが

研究者さんたちはずっとがんばってくださっているんだなあと

とてもありがたい気持ちになりました。

 

「新薬」というものを娘もいくつか使いましたが

期待値は大きいものの

副作用や成果などもよくわからないことが多くて

ドクターたちも「こわごわ」使ってくださった印象があります。

 

それに「治験」には

娘のような難治性の患者は参加させてもらえず

悔しい思いもしました。

 

製薬会社は当然、いい成果を上げたいので

効果が期待できる心身状態のいい患者でしか

治験を行いません…多くの場合。

 

ひとつのニュースで

色々な思いがわきおこり

久々にブログに書いてみよう…と思った次第です。

 

 

毎日のように、娘を思います。

特に、尾籠な話でもうしわけないのですが

トイレを済ませてスッキリしたとき

 

「おいしく食べれて

 ぐっすり寝れて

 スッキリ出せたら

 それがいちばんの幸せ」

 

と言ってた娘を思い出します。

 

トイレを済ますことすら

ツラくて

必死の思いだった娘を思えば

 

ぐちゃぐちゃ細かいことで悩んでいる私なんて

 

「ふんっ」

 

ってところですよね。

 

 

今日は11月25日、イイニコの日です。

娘が好きな「NICO Touches the Walls」がそう呼んで

毎年、ライブを行います。

今日も老体に鞭打って

オールスタンディングライブに、

たぶんぎゅうぎゅう詰めのまんなかで

参戦します。

 

NICOが10年前、インディーズ時代に発表した楽曲を

今日は演奏するようです。

楽しみだけど、

娘がよくよく聞いていた、好きだった歌が

きっと満載で、

ぎゃーって叫びながら、

ひとり泣くんだろうな。。。

 

それもデトックス!

娘からのプレゼントだと思って

楽しんできます。

 

 

 

 

 

 

前回のブログで
ご心配をおかけしたかもしれません
ゴメンなさい。
私は元気です。

命日、お墓に行ってきました。
少し泣き、
いっぱい泣きそうになったので帰ってきました。
でも。
命日を越え、少しずつ変わってきています。
また、歩くか!みたいな…



次女は幼い頃から心配症で
未知のことが不安で
大好きな姉のやることをとにかくよく観察する子でした。

姉は勇猛果敢で
天に向かって石を投げ「あそこまで行く」って言ったときにはすでに走り出してるような
そんな子でした。

姉というシミュレーションを失って
それでも次女は明るく高校生活を過ごしていたのですが
ストレスのかかる大学受験は厳しかったのでしょう。

そこで、
私が推薦入試を勧めていたら
ストレスなく大学に行くことができて
次女はつまずくことはなかったかもしれません。



とにかく、
次女はつまずいてしまったのです。



もし娘が生きていたら、
普通に大学受験していたら、
次女は
姉というシミュレーションを見て
いろいろ判断したでしょう。
ひょっとしたら、つまずくこともなかったかも…






ですが、
こう考えると


すべて娘の死が原因ってことになってしまう‼️

あれほどがんばって戦ったのに

次女のことまで自分のせいにされたら

娘の立つ瀬がない、でしょ。






それに


「原因」がわかったからといって

何かが変わるのか?っていうと
なにも変わらないのです。




次女のこれからは
次女本人が決めること‼️

他人から見ると
すごく遠回りして
引きこもりなんて良くないことかもしれない…
けど、

きっと
引きこもっていた時期があったから、いまがある

って思える日がくる!と信じています。






うーん、ちょっと違うかなぁ。

まだ力強く「信じてる」とは言えないかなぁ。



きっと、その日がくると信じたい‼️




最近、次女は歯医者に通っています。

我慢できないほど虫歯がひどくなったせいですが
それでも
毎週そとに出るのを見ていると、うれしい。


「今週は大丈夫かなぁ。
ドタキャンしないかなあ」
と、ものすごく心配しましたが
やっと
「歯医者には行くんだ」と私も信頼できるようになりました。


だからといって、
即社会復帰とはいかないし
即家族団らんともいきませんが

少しずつ少しずつは進んでいるのかなぁと
思います。




「原因」なんてわからなくていい。
「いま」が心地よくて
「明日」が楽しみなら…



私も
今日より明日、
腹黒さを薄めていけるように歩こう…


そして

次女の「いま」が、
できるだけ心地よいものになるように
心を配ろう…


そう思っています。