明日で丸5年になります。
早いものなのか、時はゆっくりしか流れないのか
よくわかりません。
とにかく
事実として、もう5年たったようです。

いろいろ変わりました。

が、ココロの奥底にあるどす黒いものが変わりません。

特に5月はどす黒いものが起きてきて
よく暴れて、毎年困ります。。。


たとえば

赤ちゃんが出てきて「ママ大好き」って言う。
これをほがらかな思いで見ることができない。

手をつないで歩く親子連れ
うちだって何度もそうして歩いたのに・・・


そんなところに刃を向けなくていいのに
もちろん、わかってるんですが

どうも5月はダメなようです。



明日、お墓参りして
娘にいろいろ謝って、お願いして

そして、もう少しクリーンな私になろうと思います。



  *  *  *  *  *  *  *  



次女はほんの少しずつですが
動き出す予感を見せ始めました。

でも、

動こうとして

やっぱりまだやめておこう。。。と
振り上げた手をもう一度おろす
みたいな

なんともまどろっこしいような時間です。


焦っても何も解決しないので
「今日もまだだったか」とのんびりのんびりと言い聞かせています。





長女が闘病していたころ

私がいまと同じくらいのんびりできていたら、

長女にもっと優しくできたかもしれない



最近、そんなふうに後悔することがあります。

未熟な親で本当に申し訳なかったと
長女には謝りたい気持ちでいっぱいです。






もうひとつ

次女にも謝りたいことがあります。

次女が引きこもり始めた頃

スピリチュアルや精神論に頼りすぎたこと

その時点では、
腹の底では、引きこもりは次女のわがままだと思っていたのでしょう。


本当は、いまお世話になっている引きこもりの支援団体とか
ちゃんとノウハウのあるところを
もっと早くから探せばよかった。。。

(ノウハウといっても
 私は「できるだけ早急に引っ張り出せ」っていうアドバイスは
 嫌いなので、受け付けませんが)


あのとき、あんなふうに私がけしかけたりしなかったら
こんなに長期化しなかったかも




いずれにしても、

未熟な私がもたらした結果なのに


その責めを子供たちが背負っている。

私はいつもと変わらず、仕事して普通の生活を送っているのに



それが申し訳なくて、たまりません。




まあ、過去は過去


今からどう進むかを考えましょう。のんびりと



たぶん、明日、
ココロの奥底の一番深い汚いところをのぞいてきます。

そのあとは、

きっと登っていくだけ

根拠はないけれど、信じてみようと思います。

あけまして・・・もなく
もう3月になってしまいました。

大変ご無沙汰しています。

相変わらず、元気に働いています。


・・・・・・・・・・


といいながら、3月は少々つらい季節でもあります。

11日、東日本大震災から5年の節目
毎年、様々な報道を見ながら

「あのときは・・」と振り返ります。

あのときは、いて
いまは、いない


去年までは
そのことを悲しむことで精いっぱいだったのですが

今年は
少しですが、突然の不幸に襲われた多くの方々に
思いをはせることができるようになりました。
遅ればせながら、で申し訳ないです。


とはいえ

「あれから5年、毎日、亡き子どもの分もご飯をつくっています」

というニュース映像に
心を引き裂かれたり。。。

娘の荷物さえ、片付けてしまった私は
これでよかったんだろうか
なんて、ね



それから、
娘の22回目の誕生日がありました。

ひっそりとケーキを食べました。


「どんな大人になっていたんだろう」

となぜか、今年はそればかり思い


もうすぐ5年ですが
5年経って出てくる思いってあるんですね。



・・・・・・・・・・・


それでも、元気に暮らしています。

次女は相変わらずですが、
すこーーーしずつ、

カタイ心に、ちいさなほころびができて
そこから「水」をしみこませていけば
心がほぐれるのではないか

そんな予感がしています。


息子は見事!浪人決定

わが家はいまや、フリーメン集団

ある意味、何でもありで楽しみたいと思います。




で、本題は

(って前置き、長っ!!!)



4月23日(土)に日比谷公園で

ゴールドリボンウォーキング2016が開催されます。

ご存知の方も多いと思いますし
参加される方も多いのでは?


かくいう私は、まだ参加したことないし。。。


どなたか、
一緒に参加しませんか?




参加申し込みは4月8日までです。詳細は➡ こちら
当日参加もOKです(当日のほうが100円高いみたいです)


「一緒に参加してやろう」という方は
こちらのメッセージ宛にご連絡下さい。

それぞれで参加申し込みをして
当日、受け付け開始が9時なので、そのころに集合しましょう。
そして5キロ、ゆっくりと話しながら、歩きませんか?


お時間があれば、その後、お茶してもいいし。




行ってみたいけど
一人じゃなあ。。。



そんな、実は内弁慶に付き合っていただける奇特な方
お待ち申し上げております。


また、同じ痛みを持つ人と話したい方も

聞いてあげるよって方も



ではでは、よろしくお願いいたします




大変ご無沙汰しています。
今年、夏に引っ越したのに、もう冬ですね。今日は特に寒い。。。

ネコ、来てくれました。



なかなかの美ネコでしょ。
ってすでに、かなりの親バカです。


次女はゆっくりと気持ちをほどいているのでしょう。
いまだ語らず

息子も受験ストレスと思春期さんなのか
多くを語らず

おしゃべりな私は、
ネコと話しています。
この子がいてくれてよかった。。。



先日、ドリカムのワンダーランドに参戦してきました。
ものすっごく、超・超・超!感動。

私はなぜかずっと泣いていました。
さめざめ泣くとか
ワーワー泣くとかではなく

涙がぽろぽろぽろぽろあふれてきて
とても幸せな気分なのに



ドリカムと言えば
未来予想図Ⅱには、長女の思い出があります。


中学の吹奏楽部で年に1度、3月には定期演奏会がありました。
そのクライマックスは
未来予想図Ⅱを1,2年が静かに演奏し
卒業を間近に控えた3年生が
3年間の思いやこれからを一人ずつ語る。。。

長女は2年のとき、学生指揮として
未来予想図Ⅱのタクトを振っていました。
そろそろ終わるかな?
あと、何小節演奏すればいいんだろう?
そんなことを思いながら、何度か振り向き
先輩全員の語りが終わると
またボリュームを上げ、エンディングへと向かいます。

「学生指揮は絶対にやりたかったんだ」

「やりたい」ことは手に入れる子でした。


ところが、本人が3年生になり
感謝を述べるはずの定期演奏会には出席できませんでした。
娘が書いた文章は、顧問の先生が代読してくださったそうですが
私も、病院で付き添っていたので見ていません。


未来予想図Ⅱ、すきだったなあ。。。なんて思うと涙




でも、ドリカムにはポジティブな力をたくさんもらってきました。

たとえば、「さぁ鐘を鳴らせ」


動画は最後が切れてますが

歌詞はこちら


たいへんだったことも
泣きわめいたことも
もちろん色々あったし
これからだって色々あるけれど


でも、生きてる限りは前向いていこうよ!



そんな気分になりました。




そう思えるようになったことに感謝!

もし、まだ前を向けない気分の方にはこの


ドリカムの宣伝みたいになっちゃった。。。




たまにしか更新しないおさぼりブログですが

私はしぶとく元気です




たいへんご無沙汰しています。
本当にバタバタしていました。

実は、引っ越しました。
(うちはずっと、賃貸の浮草暮らしなもので。。)



ある方から

「あなたは、何も自分で決めていない。
 小さなことからでいいから、自分で、決めるように練習しなさい」

といわれたことがあります。



その訓練の場が、引越しだったのかもしれません。

ドキドキしながら、いろんなことをひとりで決めました。
夫は、のほほんと「いいんじゃない」ってときどき言うだけ。
ま、彼は単身赴任中ですからね。



次女がどう思うか、どう行動するか
いちばん不安で、とにかく不安で
突然叫びたくなるくらい不安で

準備の大変さと相まって、途中で何度も投げ出したくなりました。


そのころの何も手がつかなくなるような、
やりきれないようなキモチは
もう今となっては
実感がありません。

へとへとでした。




ですが、

次女も動いてくれ

新しい家にやってきましたチョキ



お盆はずっと片付けていて

なんとか段ボールもなくなりました。
新しい家にもなじみつつあります。



・・・・・・



次女のこともあるので

最初は、占いに行き、いい日やいい方角を見てもらったりもしました。



途中で
占いに辟易してしまい

最後は、占いには関係なく

物件の間取りや
家に入ったときの自分の感覚を信じて

この家を選びました。



その結果、

占いで「いいよ」といわれた方角に

そして、

長女が長い間お世話になった病院に近いところに

住むことになりました。




まだ「病院には行けない」とずっと思っていましたが

病院への通い道を車で走っても
泣かないようになっていました。

だったら
病院に行ってみようかと

向かってみたのですが

途中の国道を渡らず、曲がって帰ってきました。

まだ、病院の真ん前には行きたくないようです。


でも、「ゆっくりでいいから整理しなさい」と言われているようで
人生の課題は盛りだくさんだなあと思います。




引越しに際して

やっと長女のモノを片付けました。

新しい家には長女の部屋はありません。

お仏壇のまわりには、彼女の携帯などを並べましたが
ほとんどの荷物は段ボールのまま、
押し入れにいます。

それに、たくさんのモノを捨てました。
使っていた教科書を捨てました。
長女の文字が残っているノートは段ボールに。

取捨選択は
音のない涙をさらさら流しながらやりました。

彼女がつかっていた大量のペンは
いま、私のデスクの上にあります。

彼女が使っていたデスク用のいすに
いま、私は座っています。

使えるものは十分に使って
そして、使えなくなったら捨てようと思っています。



・・・・・・・



なぜか、次女の部屋は携帯の電波が悪く
Wi-Fiが通らず

いやいやながら、リビングに出てくるようになりました。


リビングにいても

特に小言を言われることはないとわかったのか、

最近は起きている時間はずっと

リビングで過ごすようになりました。



まだ何も話さないし

体力もないし



でも、一歩前進だよね。

喜んでいます。




来月には

ネコを飼おうと思っています。

引越しの目的のひとつでもあります。



生活がまた変わるでしょう。

どう転ぶかはわかりませんが



沼のなかの動きのない空間より

千変万化の環境においてみようと思っています。





ほんとにバタバタしています。


という事で

次のご報告までまた時間があくかもしれませんが



私は、元気で応援団やってます。

長女も

にこやかに応援してくれています。







これからも


ゆっくり進んでいけたらと思っています。







あの日から、4年経ちました。

今年は、次女のこともあり
仕事も忙しく
さらに
4月から夫が単身赴任したことなども重なって

ずっとテンパっていたようです。


毎月、月命日のあたりにはお墓参りしよう

って思って今月も行きましたが

それが、祥月命日だと気づいたのは2日前でした。



命日を忘れるなんて、なんて薄情な・・・

といつもなら自分を責めるところですが



どうも体がだるくて
 (テンパり過ぎです。。。)
そこまでの元気がないし

それに娘が


「それでいいんだよ」


ってずっと微笑んでくれているので



甘えてしまっています。




甘えられるのも、4年の月日のおかげかなあと思います。





私はどうも

即座に理解するのが苦手で



後から、こういうことだったのね と納得することが多いです。




* * * * * * * * *



娘がけいれんを起こし

数分後に意識を戻して「怖かった」って泣いた。



それを2,3回繰り返して

その日の宿直の医師が


「けいれん止めを使いましょう。
こんなに怖がっているのだから、かわいそうでしょう」


って言って、けいれん止めを点滴してもらいました。



でも、その時は

どうして、かわいそうだから、けいれん止めを使うのか?


理解できていなかったのです。




今にして思えば

「けいれん止めを使って、眠らせましょう。
意識が戻るかどうかはわかりませんが」


ってことだったんですね。

そんなに重大な事だとは、考えられませんでした。




その後、娘は昏睡状態に入るのですが

すやすや眠る娘を見て


「自分で決めていいよ。
親としては、もっと頑張ってほしいけど


でも、じゅうぶんに頑張ったし

あなたが「もう疲れた」って思うなら、がんばらなくてもいいよ。

あなたが好きな方をえらんでいいよ」


って話しかけていました。



私としては、そういいつつ
娘はもっと頑張る道を選ぶはず、ってちょっと期待もありましたが



そんなある意味、カッコいいことを言いながら


でも


「がんばって
死なないで」


ってずっと思ってた…

踏ん切りというか、

心底、思い切ることはできませんでした。






いまも、そうなんだろうなあと思います。


次女に

「ゆっくりしていいよ」


っていいながら



でも


できれば


今すぐにでも活動的になってほしい



と願ってる。。。




だから、このうらおもての心がいけないんでしょうね。



クリアできない課題は、何度もやってくる、と言いますよね。
私ががんばってクリアするしかないのですが


私が不出来なのでしょう。




と落ち込み始めると

娘が「だいじょうぶ。大丈夫」って


慰めに来てくれます。


「時間が必要なの。大丈夫」って




私はこんなにすごい天使に守ってもらえて

幸せだなあ。






でも、本当は



私が先に逝って、守ってやりたかった。







4年経っても

変わらないことも、たくさんあります。