検査結果良好な時は 自己管理も気持ちよくできる。積極的というか意志的というか攻めの姿勢でいる


ことができる。


が それが芳しくない時は 制約付きのネフローゼ腎たる自身の生活が虚しくも思える。


色褪せて感じる。


だが賢者たるもの そんな時こそself-controlがきくのかもしれない。


そんな時こそ 自己管理できることを「自愛」というのだとも思う。



ネフローゼという病の底深さ・果てしなさを知りながらも どこか破滅的というか 心の脆さを露呈してい


たままの様な年月が自身には長くあった気がする。


日が改まった。


今日も ハードか?。


せめてもの救いは 夕食を低蛋白で終えたということである。



日曜日の安静で疲労は抜けたようだ。


月曜日もclear


今朝の目覚め方も 昨日の節蛋白食・低塩分のせいか ましな方だった。


だが今日は 相方がPMからエアコンで調子が悪くなったと早退した為の皺寄せが来て忙しかった。


前の会社は肉体労働的時間帯があったが 今のそれは 精神的労働のほうが多い。


前の会社の時の様な 右わき腹がひきつるような痛みはなくなった。


3日連続で安静を強いられるようなこともなくなった。


だが 昔日も今も 疲労をかんどる自分だけのサインが自身にはある。


それは起床・洗顔時  疲労時には顔を洗うと双眸に違和感が生じるのだ。


水道水が眼に沁みるような感覚である。


「塩素のせいか それとも就寝前に首筋に塗るステロイド軟膏が指先に残っていて


それが洗顔時に眼に入り 違和感を生じさせるのか」と 思うのだが 疲労のサインである。


就労日 それも殊更 人手不足の日にあっては 疲労を否定したい自身である。


それを一時でも紛らわせたいが為に カフェイン入りのドリンクを飲んで出かける自身である。


ネフローゼのみならず長い病いを宿している人々にとって疲労は大敵である。


それを溜めてはならない。

















落ち込むのは当然 泣くのも頷くことができる。

健康な人に生活レベルを羨むのも解る。

なんで自分だけがこんな制限付きの病気になってしまったのか 理不尽さを嘆くのも理解できる。


だが 自暴自棄を起こし 治療を勝手に止めたりすることだけはやめた方がいい。


配偶者と息子は町内焼肉大会へ

一方私は 腎臓に優しい夕食を自身で作って食べた。

ご飯と目玉焼きである。


入院時 腎ⅢBの頃 夕食に

ご飯と目玉焼きが出た。 さめた目玉焼きにホンの少々の醤油がかけてあった。


その少量の醤油をご飯にかけ 目玉焼きの黄身と混ぜて食べた。

美味だったことを覚えている。


そんな夕食を思い出し 時折り 夜食べる時がある。