故父の実姉 大正13年生の叔母の見舞に行った。2度目のそれである。

還暦の私に 病床から

「お前は子どもの頃から入院ばっかりで 病院が家だった頃があった。

足や手は細いのに 顔 それもほっぺただけが異様に膨れ上がっていた。

だが 病みぬいて もう病気も枯れただろう。」


顔の方はステロイドの副作用。大きなお世話だが 確かにネフローゼは ステロイド完全離脱28年 よって病みぬいた感はある。

だが ネフローゼは決して枯れきってはいない。

噴火(再発)こそしていないが 火口(ネフローゼ腎)からは 火山の兆候(易疲労感・先月だったか 蛋白尿陽性)は 今も根付いているし息づいてもいる。


「入院して2か月余り。町内の人も親戚の人も もう見舞の人も来なくなった。

やっぱり身内との会話いい。自分の若かったころが お前を介して思い出すことができる。」

寂しそうな横顔だった。


調子がいいからといって 余分に1杯やると 明日 明後日の就労に影響が出る。

もう一杯 グラスを煽りたいのは判るが その1杯は 明日の1杯に回すと決すのが

意志である。


今日の我が腎臓等のご機嫌を鑑みながら ささやかな自己管理食を頂こうと思う。

60歳還暦


先々月頃 だったか❓ 診察室での主治医84歳との会話の段片。


「昔は 飲んで GOT GPTが昇がっていたことがあったなぁー」


「はい 昔はスナック=昔別嬪  和風スタンド=ボテ子の部屋等で 鉢合わせの時ありましたねー」


慢性疾患で通院中にもかかわらず 主治医と飲み屋で鉢合わせ 気まずさを感じた時があったことを


想起した。


「儂も若かった。日々の診療・回診等忙しかったぞ。ストレスが溜まってしかたない夜があった。」


院長先生は聴診器を丸めながら笑った。


「ところで 煙草の方はどうしてた?」


「そっちの方は 躰に合わなかったです。高校時代等 いきがって吸ってはみましたが

吸うと 心臓あたりが きゅっと縮むようで違和感あったので続きませんでした。」


私のその言葉に 40年以上ネㇷローゼ管理してきた院長先生 少なからず驚いた様な表情になり


電子カルテに慣れない指先でその旨 入力していた。ネ  フローゼ症候群=


得体のしれない長い病気である。何年もの治療継続にも拘らず経過不変・悪化続くと 主治医に対しての


信頼も揺らぐであろう。


だが 治療方針は 医学に関しての専門的経験・知識を有する人達が主に決めていくことと思う。


疑念あらば その旨 正直に話すことがまず第1位であろう。 治療方針をブログ記事によって決して安易


に決めないでほしい。


何度も記したが 生命力あふれるうちに自己管理と継続的治療によって より健常者に近しい社会生活


を継続的に送って頂きたいと切に願う。



August 22    2015


次のPCの機種を決めた。 NEC HA750である。


今日も朝 少々 resumeに時間を割いた


今年度第ⅡQも結構 経常利益 厳しいらしい。



























盂蘭盆

朝から配偶者の里へ墓参。

私の所では アブラゼミとクマゼミの鳴き声が 配偶者のそこへ行くとアブラゼミとつくつく法師ゼミのそれらになっていた。

実りかけていく田んぼの上空にはオニヤンマ行き交い 池の上にはしおからトンボの姿があった。

小川に下りていくと 護岸の近くにはメダカの群れがあった。

空は青く その中には幾層かの真っ白な入道雲。

上空の有様は 真夏のそれと同じだが そよいでくる風は どこかしら涼しさを孕んでいた。


PMは中学校の同窓会

久し振りに会う顔は様々だった。

お互い 齢60ともなると いいこともあり、悔いもあり蹉跌も大いにある人生だったであろうか。

嫁批判・孫自慢の多い中 自己自慢も少々あった。

「東大文1 在学中に司法試験合格 検察庁へ・・・」

彼は 本当は理科3類希望だったが 色盲のため文系に行ったのである。

だが彼はそこまで言及はしなかった。

(因みに彼の実兄はやはり東大文1 裁判官である。)

1学年340人 彼の様な人もいれば 私のような者もいる。


昔日は 時の流れるスピードは「歩く速さ」とぐらいしか感じなかったが

今では 時の流れるそれは「小走りぐらいの速さ」 そんな想いがしてきた。

同時に「時は有限。砂時計であった。」ことにも気がついた。