小児科病棟の北側に木造のTB病棟があった。 主治医は外来が終わるとTB病棟を通って


小児科病棟に回診に来ていた。


小児科病棟のある一角から TB病棟が見えた。 ある日TB病棟に入院している人の名字を聞いた。

その一角から 私は時折 その人の名字を叫んでやった。

「向かいの病棟の人の名前を叫んでいる人はだれですか?」看護婦が 犯人探しに来ても私は

「知らん」と答えていた。


「何年 この薬をのんでも治らん!」といって窓から粉薬を捨てていた者。運悪く・・。?。ちょうど病棟下で

掃除をしていた病院スタッフに粉薬がかかり、病棟へ通報。後でしっかり叱られていた。


尿が薄くなると 蛋白もへるはず、そう思い込み 検尿時にはやたら 水分を取って検査。

ところが 尿比重があまりにも軽くなりすぎて あとで 再検査の羽目になった者。

(あっ。これは当時の私でした。 でも蛋白尿で悩み続けた経験のある人には感情的にわかる部分だと思います。)


平成22年度の年度末残業2Hで終わり 何とか乗り切ることが出来ました。


入院していた時 看護婦さんに抱きつき強制退院になったものがいた。


病室の天井に点滴をフックする金具があった。そこのハンガーをかけ パジャマの上下を吊るした。

消灯後 巡回に来た看護婦 首つりかと錯覚して 仰天。大騒ぎとなった。

この患者 私同様 ネフローゼで重症。強制退院とはならなかったが、主治医から叱責されていた。


やたら 入院患者が増え 看護婦詰所のとなり 乳児室まで病室となった。乳児は未熟児室等へ移さ


れ、なぜか私達3人が ベッドごと乳児室へ。Tの字に寝かされていた。


この乳児室には ナースコールがなかったのだが 床にむき出しの配線だけがあった。


2本の線を接触させると となりの看護婦詰所のブザーが鳴り出すのが 耳に届いてくる。


乳児室から病室になった私たちの所へ来るのかなと思ったら 看護婦は来ない。


来ないどころかブザーは鳴るが 病室番号が特定できないと てんやわんやになっていた。


面白いので 消灯前 時折 接触させていた。


腎臓病の私たちの間で このころ乾布摩擦が 流行っていた。血行が良くなると言い出しやっていた。

血沈の値は少々 改善した記憶もある。だがそれよりも 中1コースに載っていた B52の写真の記憶の方が何故か鮮明に残っている。


小児科に入院していた時のプレドニンは 総合ビタミン剤と混ぜての服用だった。


服用するのが嫌で ステロイドの錠剤を捨てた患者がいたから そうなったと記憶している。


苦い薬を飲みながらネフローゼ仲間たちは「このくらいの苦さだったら 40mmg?。35mmg・・・?。

云々。」とお互いのステロイドの量を推測し合っていた記憶がある。


ネフローゼで ムーンフェイスになっていた私たちにとって ステロイドのない薬は憧れそのものだった。


急性腎炎にて入院してくる患者たちの苦くないビタミン剤だけの様な薬に ネフローゼの私達は憧れつづけた記憶がある。


副作用のないネフローゼに対する 特効薬が開発されればよいと 私は願う。