短大2年になった娘の授業料 通学パスを支払ったら 財布は軽くなった。


震災と寒さのため 桜のほうまで気が回っていなかった。だが 我が街の旧市役所の枝垂桜。


一気に5分咲き近くになっていた。気持ちも身体も 萎縮している間にも 季節は確実に進んでいたようである。


年々歳々 花おなじくして、 年々歳々 人同じからずの体である。


私は栄養士のほかにある資格がある。登録をきっかけに 自身の腎機能に見合う職を探している。


されど 登録しても雇用の安定には 今一歩という 答えがあり少々落胆しているところである。


早めに入浴して ベランダへ出て夕刻の空を見上げてみた。


いつもは東から西へと向かう飛行機、今夕は何故か高々度 西から東へと向かう飛行機あり。


コントレール2本、ANA B767.


上空は風が強いのだろう。Contrailは瞬く間に消えていった。

ステロイドの副作用 その数は多い。


私の場合は以下だった。


ムーンフェイス=ひどかった.見舞に来てくれた人が 判らなかったし 退院した後も 本人?。

          と言われていた。


野獣肩=やはり長期服用のため 胸部周辺に脂肪がついていた。格好は悪かった。

      パジャマのサイズは 自身の身長以上のものだった。すそは織り込んでいた。


目じりの部分の静脈が浮き出て 青くなった。


毛深くなった。胃カメラをのんだら 潰瘍の跡があった。


睡眠時間は 短かった。


情緒不安定 こんな病気になって情緒安定している人は少ないと思う。

       鏡前の我が身を見ては 吐息をもらし、

       蛋白の試験紙の色変を観ては 落ち込んでいた。

 

 病気に打ち勝ってやる 胸中そんな思いになることができ始めたのは 発病後 一体 どのくらい後だったのか 記憶にはない。

 3月26日には降雪があった我が街。きょうは 木蓮の花が 満開近くまでになっている。

息子がラグビー部活から今戻ってきた。

下痢からだった。入院後下痢がはじまり 夜 夜明け等続いた。


母によく下着を持ってきてもらっていた。 病室内への臭いも恥ずかしかった。

一時でも早く着替えたかった記憶がある。


病状は日に日に悪化していった。胸 腹 頭 陰のうまで水がたまり 辛い日々だった。

父は主治医から呼ばれ 「ネフローゼ症候群になった。 病気は長引く」と告げられた。

父からそれを聞かされたとき 今の自分の病状をおもいながら その言葉に納得できたような思いに なれた記憶がある。


もっと はやくに病状が出て もっと早くに治療を始めていたなら 人生の大半を当該疾病にて 過ごさなくてもよかったのではないかと 思う時もあったが 思ってはみても of no valueであった。

それは自身で分かりすぎるほど分かっている。


四六時中 利尿剤の点滴と腹痛等に見舞われていた私は 付き添ってくれているのが祖母ではなく母だったらと よく思っていたものである。