ネフローゼとのつき合いが長いだけに 多くの人々に会い様々感じた。

以前ににも記した記憶があるのだが


男性 案外脆く 弱い。病身のわが身のことが 意外に長く尾を引く。アナログ的であり1と2の中間を考える。それに肩書き重視の社会的生き物たる男は こらえ性も欠く。

夜ごと 病院から抜け出し夜灯虫のように 自動販売機の前にたむろして 大ごとを言っているのは 男のみだった。自身の病気に対して 人生に対して どこか反抗的だった。受け入れたくない部分が見え隠れしていた。


女性 か弱いといいながらも 結構粘り強く 強靭である。割り切るまでには時間を要するが 一度割り切ると胆がすわる。デジタル的なところがある。病状が悪化しても どこかあっけらかんとしてそれを静かに受容していた。


そういえば 笑顔の数は男は自分を含め 少ないと感じた。

こんな病気になって 思う存分仕事ができない。おかげで ジリ貧だ。そんな思いが胸中のどこかにいつも張り付いているからだろう。


PCを変えての入力だった。



アルコール。20歳代は主としてオン・ザ・ロック。仕事が終わると アルコールで体内の消毒をやっていた。

その頃 同じようにオン・ザ・ロックしか飲まない人に出逢った。

彼の顔はどす黒かった。生来的な黒さではなかった。

それは 自身が腎機能が悪化しているとき 皆から「顔色がどす黒い。」と言われていた時の色に似ていた。事実その通りだった。

「私 透析をしてるもんで 水分の制限があるんです。」

そういってグラスを煽ると グラス内の氷片をいとおしむ様に口腔に含んでいた。

「でも アルコール腎臓にはよくないでしょ。」私の言葉に「明日は透析の日なので」そういって眼元を和らげていた。

「実は私も 腎臓で長年通院してます。学校3年休学しました。」そう打ち明けたのは 知り合ってから相当り後だったと思う。


結婚できたのが32歳。配偶者は紹介できたが長女が出来たのがその4年後。みせたいと思っていたが 彼はその年 亡くなった。

長女を見せることができなかったこと 残念だったという思いは今もある。


その長女 今年20歳。成人式の前撮りの写真だといって振袖姿の写真をみせてくれた。

表情はやや硬いが しっかりとしたフレームワークで撮られていた。


その傍らでは 息子が言っている。「また落ちた。」3度目の就職試験である。だが本人は屈託が無い。

漫画を読んでいる。頭にはラグビーのことしかないらしい。


今夜もまた 日本シリーズにバレー と忙しいのだ。

「仕事は?」の問いに その内容を1から10まで喋っていた20代の前半。

だが医師は そんなことには興味を示さず「ステロイド いくで。」の一言。ただ頷くだけだったと思う。


「仕事は?」の問いに「きつい時あります。」 と答えた20代の後半。

医師は カルテを観ながら「ステロイド。」 受容するしかなかったと記憶する。


若いころは 「きつい時があります。」の後。 「この仕事続けても大じょうぶですか?」と問いかけていたようにも記憶している。医師からの「大丈夫。」という言葉を聞きたかったからだった。

だが そんな問いかけも無くなっていった。

「仕事と体」の関係を最もよく知っているのは医師ではなく 自分である事に気づいたからだったと思う。


この仕事を続けるか否かについて 医師が言及できうる範囲は 一般的なアドヴァイス辺りまでか。

最終的にどうするかは 当然の事だが 自身で決めなければならないことなのだ。


「仕事と体」=「男としての社会的肩書き・収入の多寡とネフローゼ」

どちらをどの位い 大切に慮ってやるか よく考えたものだった。

「明日は持つだろうか?」 「疲労が蓄積し続けているが大丈夫だろうか?」

夜中 言いようの無い不安に苛まれることは時おりあった。


このネフローゼという病い 人間が持っている欲望と同じくらい根深いもののようである。