「仕事は?」の問いに その内容を1から10まで喋っていた20代の前半。

だが医師は そんなことには興味を示さず「ステロイド いくで。」の一言。ただ頷くだけだったと思う。


「仕事は?」の問いに「きつい時あります。」 と答えた20代の後半。

医師は カルテを観ながら「ステロイド。」 受容するしかなかったと記憶する。


若いころは 「きつい時があります。」の後。 「この仕事続けても大じょうぶですか?」と問いかけていたようにも記憶している。医師からの「大丈夫。」という言葉を聞きたかったからだった。

だが そんな問いかけも無くなっていった。

「仕事と体」の関係を最もよく知っているのは医師ではなく 自分である事に気づいたからだったと思う。


この仕事を続けるか否かについて 医師が言及できうる範囲は 一般的なアドヴァイス辺りまでか。

最終的にどうするかは 当然の事だが 自身で決めなければならないことなのだ。


「仕事と体」=「男としての社会的肩書き・収入の多寡とネフローゼ」

どちらをどの位い 大切に慮ってやるか よく考えたものだった。

「明日は持つだろうか?」 「疲労が蓄積し続けているが大丈夫だろうか?」

夜中 言いようの無い不安に苛まれることは時おりあった。


このネフローゼという病い 人間が持っている欲望と同じくらい根深いもののようである。