昔日 ワープロやパソコンが出始めた頃 将来はペーパーレスの時代になる云々といわれていた様に記憶する。

理由は 情報をそれらの中に取り込むため そうなるのだと聞いたように思う。

されど そう、なったのだろうか?!。

研修に行くと 講師がそれぞれ自分のResumeを持ってくる。

それが終わるたびに 資料は増える。

課題にとりかかる前に 整理に結構手間がかかる。

机上は 資料で溢れかえっている。


久しぶりに 夕刻散歩に出かけた。

上空は やや湿気を帯びているのだろう。コントレールが何本も観えた。

アンカレッジ発 台北行きのB747のそれも含まれていたのだろうが 双眼鏡を持っていかなかったので確認は不可だった。

このシップの後には 関空行きのB747が 時折姿を現す。

いつだったか 時刻も忘れたが ここ時刻のあとぐらいだったか?。DOHA発 関空行きのB777の機影もあったような気がする。


そうそう 昼前 配偶者の機嫌が妙によかった。

息子が 車で 買い物に連れて行ってやると言ってくれたのがその理由であった。

たくさんの袋を 両手に下げて帰ってきていた。


娘の研修・着任後 今度は自分の研修。それにしても昨日の研修は 手ごたえを感じた。

日ごろからの勉強は 嘘をつかない、とも思った。

JRで県庁所在地へ。早朝でてよる帰宅。

朝 駅に着く時 関空発の1番機か?。上空を北西へと飛んでいく。


昨日帰路 列車が駅で止まった。その上空にコントレールが見えたので つい列車から降りて見上げているうちに 列車が発車しはじめた。「おい、おい」と走って 運転席をたたくと止まってくれた。

ローカル線ならではだと思った。


こんなローカル線 都会から来たビジネスマン達は驚き失笑する場面がある。

列車のドアは自動ではない。列車の外側に 「開く」というボタンがある。列車内には「開く」と「閉める」

というボタンがある。押さなければ開閉しないのである。

自動ドアが当たり前の彼らのなかには いつまでも外で待っている人がいる。

後から来た人に 先を越され「ヘーェ」という表情で 列車内にはいってくる。

さらに ローカル線で単線 途中の駅で いきちがい列車の通過を待つため 余分に数分待つ時がある。これも 彼らは「へーェ 」となっている。なかには 携帯電話でそのことを伝えている人もみたことがある。

行きは 北から南へ。駅舎の桜の蕾は硬いままだが 南下するにつれ開花していく。


配偶者は 娘のアパートへ。今朝 ベッド等が届くため出かけた。

骨折した80歳の母のほうは 今日 転院。これからそれにでかけようと思っている。


それにしても 寒い。腎臓病の人たちは体を冷やさないように もう1枚 着たりはいたりした方がよいと思う。




 

そう 気持ちに「ビタミン勇気」をくれたシーン多々あったと思う。

だんじりを引くシーン 空撮のアングルもよかった。

最終日を見終わったとき なぜか映画 「蒲田行進曲」ラストシーンが脳裏に浮かんできた。

それにしても 車椅子でTVを観ていた人は いったいだ誰だったのだろうか・・・?。

毎日 観ていればよかった。気にかかる。


止めていた車の隣から 歌が聞こえてきた。島倉千代子の「夕月」という曲だった。

古い曲だが名曲だと思う。 私はこの曲が好きだ。特に3番の歌詞。

変わっていく 否、変わらずを得ない人というものの 切なさ 寂しさ つらさが織り込まれている。

この曲の対岸にある曲のひとつに「ふるさとの話をしよう」という曲がある。

「あらーよ!。出前、いっ丁」のCMソングを作った人である。

これから2人 新しい生活をはじめていくのだろう。幸福に満ちている。


80歳の母親の転院が決まった。今朝こそは57歳の息子、心穏やかに話しをきいてやろうと思っていたのだが

言いたい放題をいうので やっぱり 腹が立ってきた。

5F病床からの光景 北の山々は 白く煙ったり またその稜線をあらわしたり 刻一刻と見せる姿を変えてくる。

そんな話をしていたら おばが脳梗塞で意識不明とのTELがはいってきた。


配偶者のほうは 娘のアパートへ 今朝もでかけた。

ちょっとの荷物があれもコレもと かさばってきた。

そういえば2年前は 短大の入学式で朝 混ぜ返していたっけ。

2年前の春は 雨が多かった。