治って社会復帰するものあらば 長期にわたって病状不安定のものもいる。

何故 差がつくのだろうか?。

親からの体質 性差 家庭環境 食生活 就労状態 発病から治療を始めるまでの期間

入院できるか否か 本人の自覚 etc。

たぶん これは千差万別の要素が 複雑に絡み合って その人の今後の腎臓病生活を形成していくのだろうか・・・。


それまで 無理は当たり前。昨夜は飲みすぎた、食べ過ぎたで来た人が腎臓患うと 難破船になる。 塩分が 蛋白質がと言われても ちんぷんかんぷん・・・。だが それが当たり前だと思う。


それゆえ 医師 栄養士 メンタルサポーター 本人(家族)でこの病気に対する理解・心構え等を

話し合ってほしいと願うのである。


で、ないと 病気が長期にわたって来ると 心腐ってしまう。

やまおり たにおり 時には 心をくしゃくしゃにしてしまいだすのである。


厳しいことになってしまうのだが 自覚形成は 早いほうがいいと感じる。


夕刻 キャセイパシフィック 千歳発香港行きが長い飛行機雲を残しながら高高度を飛んでいた。


今夜は とりあえず 俄かサッカーファンになろう。


 


そう!。月単位 季節単位とはいっても振り返れば それらの経過も早かったかとも感じる。

だがいざ入院している身ともなると 朝からが長い。TVにも 読書にも飽きが来る。延々と アクセントに欠く 時間が流れる。30分、否!、15分間でさえ することがなく 心不冴えの時は長く 退屈であった。

ましてや自由が利かない為に 僻み根性さえ 心もたげてきたものだった。

蛋白尿が陽性で浮腫んだ体や Moon Face 中心性肥満は 泣いても 落ち込んでも決して恢復はしてくれなかった。私には 奇跡はおこらなかった。

同病で自分よりも長く入院しているにも拘らず 自分よりも重い人と自身の病状を較べ まだましかな・・・?。

そんな姑息な算盤勘定で 自分で自分を納得させていた自身がその頃いた。

自分より早期に退院していく友に「もう、再発させるなよ。」と見送りながら胸中では「また どうせ戻ってくるくせに。」とつぶやく自身もいた。


退院し学校や 仕事に復帰すると 当初は「あつものに懲りて なますをふく」が 時の経過と共に「喉もと過ぎれば」になって行く自身だった。

ネフローゼ腎でありながら それが面倒で 邪魔で仕方なかった。振り向くのさえ嫌だった。

建設的で改善的な生活ならいいのだが 自虐的な時期が結構私にはあった。

それゆえの反動だったのだろうか・・・?。

50歳を越えたあたりからだったか・・。ひびの入っていながらも自身の弱さに耐えてくれてきた我が腎臓への申し訳なさを抱き始めた。

自分の腎機能に見合う就労生活が不可欠だと感じ始めてきた。身勝手なものである。

生命力に満ちている若い時の自己管理が 将来の腎臓病生活を支配しているようにも感じる、今である。

それぞれに自己管理の方向 否定も肯定も 正直できない。










 


ネフローゼにかかった人なら                                                   文頭~文末の1行に 期待 希望 失望 後悔 焦燥 そんな感情が 長い闘病生活のなかに於いて複雑に交錯していること 否定できないのではないか。


ステロイド投与 長い踊り場 副作用 快復への兆し 恢復 再発 ステロイド・・・。

私の場合 月単位ではなく 季節単位以上だったようにも思う。

副作用 私の場合は ムーンフェイス 中心性肥満 にきび 筋力低下 胃潰瘍。思春期の頃はつらかった。ひと目が気になって仕方なかった。恢復をもたらせてくれるステロイドを 憎みながら 服用していた。

私が 覚悟ある人間だったら 淡々とした態度でステロイドを服用しその時々の心に浮かぶ言葉を

客観的な文章にでもしていたかもしれない。

思うに私は 根底の部分では このネフローゼから逃げていた。否!。仕事の忙しさに事寄せて 自身ネフローゼであることを封印していたように思う。


ネフローゼであることをもっと早期に自覚して 自身の腎機能に見合った生き方をしていたならより健常者に近い生活が約束されていたのかもしれない。

若いうちの1ヶ月の自己管理は 加齢してからの3ヶ月のそれに該当するかもしれない。


息子は教習所の試験に合格。

妻娘は アパート契約終えて帰ってきた。後 残すは自分のことである。力を尽くさねばと思う。

祝いに 急遽 ささやかだが 家族4人で外食となった。月末の日曜日 先週は給料日だったのか 店は混んでいた。

今夜はアルコールの日だが 明日のために我慢しよう。